いつもお世話になっているネコパブリッシングの季刊誌「国鉄時代」の別冊写真集”わが国鉄時代”が発刊されました。国鉄が解体されてから22年。その当時、若者と呼ばれた線路際の面々もいまや中年オヤジの真っ只中。そんなオヤジがこの時代に生きたと言う証のように撮った数々の写真には当時のノスタルジーとは違った想い出探しがあるような気がします。
73,07,28 東戸塚 103系臨電
幸いな事に私の写真も何枚か採用されています。その中でP35の103系海水浴臨の写真は私の撮り方としては異例の縦位置の写真です。計算されたように木陰を入れて撮ってますがすべてたまたまの産物です。103系と言えばせいぜい80K/hくらいしか出さないとおもっていたのですが、この東海道線での臨時列車では113系と平行スジで設定され、103系ってこんなにスピード出せるの?と思うくらいモーターの音で、いつもと明らかに違うぬ103系だったのは沿線で撮影していてもわかりました。
この103系の臨時列車は蒲田電車区から103系を週末だけ借り受け、さらには運転士も車掌も蒲田からの助勤で対応していました。そして偶然にもこの列車そのもののサボを助勤で平塚駅で作業をしていた名取レールマガジン編集長が返している事を最近知りました。一枚の写真に複数の思い出が交差する事はなんて素晴らしいことなのでしょうか。
78,07,22 104レ EF5853号機
またP52~53ではEF5853号機が牽引する20系急行”銀河”の写真も掲載されています。何百回も通ったであろう(少し大げさな表現だけどそれくらい通ったと信じている)根府川・白糸川橋梁で撮影者の多さとその興奮度の高さでは忘れられない一枚です。今もこの日の興奮は忘れられません。(と言うとかっこよいですが、要は帰りの電車の中でいつまでもニヤニヤしていただけなのですが…汗)
80,05,21 東一運
あと今回の”わが国鉄時代”では当時は趣味の対象して認知されていなかった新幹線電車0系の写真がいくつか採用されています。当時、被写体には事欠かなかった時代ですので新幹線電車0系に眼を向け、そして撮るなんて考えもしなかった時代でした。それだけに0系に携わる現場に居て、カメラを持って居るという使命感から写欲はなかったものの”この姿は後世に残さなくては”と撮った写真のいくつかが紹介されています。その中でもP98の0系お召列車整備作業風景は鉄道雑誌では未発表で現場の人以外はほとんど知られることのなかった姿です。このまま近代化という時代の流れに消されてしまうには忍びなくいつか出版物で残したいと思っていただけに、その願いが叶って安堵しています。
今回はわが”国鉄時代Vol1”となっていますので、(期待をもって…)遠くない将来にはVol2が発刊されるされることでしょう!
明日より書店で並びます。立ち読みではなく、ぜひお買い物頂いて国鉄時代と言う雰囲気をお楽しみください。
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