この撮影地は昼頃に通過する5271では正面に陽が当らないので、15時過ぎに通過したこの列車で最高の光線状態でした。 91,05,12 越生 回9225レ
貨物列車現役当時はかなり通った八高線ですが主に休日を中心に高崎―高麗川間に団臨の客レが入る事がありました。休日だと貨物は運休が多く通常は訪れないのですが、団臨の客レが運転されるとなれば良い被写体となるので団臨だけのために出撃した事も、一度や二度ではありません。団臨客レがある時にどうしても撮りたいのに休みが入らず、一か八かで時刻的に一番早く撮れ、さらにアクセスの良い撮影地で一枚だけ撮影して、関越道を使って出勤を企んだのですがあえなく行楽大渋滞で玉砕!大遅刻となってしまった事もありました。(現在だったら本社まで上がる一大事になってしまうでしょうが、当時は上長のお小言で済みました…笑)
この団臨のスジはだいたい決まっていて往路が早朝に高崎から高麗川へ回送があり、高麗川で折り返して客扱をして高崎に戻ると言う行路で冬場は高麗川から高崎へ向かう列車しか撮影出来ませんが、夏場なら高崎からの回送も撮影が出来て一往復まるまる撮影が出来て楽しませてもらった記憶があります。復路はこの逆行路で往復とも夜に運転されこちらは日没が遅い夏至の頃で高崎側でギリギリ撮影出来るかな?と言う感じで、原則はバルブ撮影以外は撮れませんでした。そんな復路のパターンを一度だけ崩して午後の絶好の撮影時間帯に団臨客レが運転された事がありました。
運転報で運転時刻を見た瞬間に撮影地が頭に浮かび、これは外せない!絶対に撮りたい!”と休みを入れて撮影した記憶があります。
当日は天気にも恵まれ、この客レの時刻でしか撮れない光線状態でしか撮影出来ない場所で撮ろうと悩んだものでした。そして決めたのが写真のこの場所です。考える事は一緒で示し合わせた訳でもないのに当時の八高線常連のメンバーがこの撮影地に揃ってワイワイ楽しみながら撮影したものでした。この頃でも八高線は人気線区でした。しかし今と比べ物にならないくらいにのんびりしていまして殺気など皆無で、冗談を言って列車をまった記憶があります(まぁ、顔なじみばかりだった言う事になりますが…)。
きっと今なら、場所がなくて三脚を目いっぱい伸ばして脚立の上に立って撮影したかもしれません。しかし、この頃はとにかく八高線も我々ものんびりムードに浸っていました。
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