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JR発足20周年

 87年4月1日、国鉄は解体され大雑把な表現をすれば旅客会社6社と貨物会社1社に継承されました。そして昨日、JR発足20周年を迎えました。長いようで、あっという間の20年だった気がします。鉄道が置かれている環境も大きく変わりました。モータリゼーションの普及で高速道路網はますます便利になり、鉄道がもっとも本領を発揮する中距離輸送もマイカーや最近は高速バスが幅を効かせているのが現実です。一方、衰退の一途と思っていた鉄道貨物はモーダルシフトと言う時代の風に乗り、ほんの少しですが追い風が吹いている状況です。20周年は各会社とも大事故や不祥事が続いて脛に傷もあることから大々的なお祝いムードと言う雰囲気ではなかったようです。

 思い返せば20年前のあの日、私は各現場毎に開催された新会社発足式典に参列することを許されず、小さな部屋に数人と共に待機していました。そして式典が終わってしばらくすると一人の管理者が部屋に入ってきていきなり「本日新会社が発足したが君達は本来、新会社には採用されない職員だった。しかしいろいろな政治判断の中で、採用されたわけで新会社が好んで採用した人材ではないことを知っていて欲しい。会社側からはできないので、君たち自身の手でなるべく早い時期にこの会社から去っていく事を新会社は望んでいる。この事は私自身の発言ではなく社長の言葉として解釈して構わない。」と一方的に発言した後、足早に部屋を出て行きました。あのときの屈辱は20年たった今でも忘れません。たぶん一生忘れる事の出来ない嫌な想い出です。そしてあの言葉を受けて、自分からはこの会社を絶対に辞めない。そして会社に居る限りことごとく会社に反旗を翻そうと決意したのでした。

 本来、私は国鉄の民営化には消極的賛成ながらも分割には絶対反対でした。なぜなら先人が築き上げてくれた日本全土を張り巡らす鉄路のネットワークを経営形態の違う会社に分割するなんてナンセンスだし、先人の努力を無にする行為と思ったからです。そして今もその考えは変わっていません。ここ数年で”やはり分割をしなければ良かった。分割は失策であった”と改めて思う事が何度かありました。
 ほんの一例ですが分割後、災害などでJR各社が長距離列車が安易に運休になることがあげられます。これは一見、乗客の安全を優先にしている様に見えますが、実は長距離列車が遅れた場合、または途中で運休となった場合の各会社間での調整が無理になってきた事が最大の原因なのです。国鉄時代には東京―九州間のブルートレインは大幅な遅れがあると上り列車は名古屋や大阪で、下り列車は広島や博多で運休として新幹線のある区間は新幹線で、それ以外の線区は昼行特急や特別に仕立てた列車で代行輸送をしていました。しかしJRが発足してしばらくすると上りを名古屋や大阪で打ち切りにしても折り返しの整備のリネン用品(ベットのシーツ等の事)の輸送(国鉄時代でも通常は名古屋にリネン用品が無い為、新幹線で名古屋まで送っていた。)や要員確保が難しいと言う理由でJR東海やJR西日本が折返しを拒否してしまいます。代行輸送も新幹線の輸送力ひっ迫を理由に簡単には出来なくなっていきます。
 また下り列車でも同様な理由で途中駅での折返し整備をしなくなってしまいました。そしてその結果、最近では何かあれば、たとえその列車が満席状態でもすぐ運休と言う図式になってきています。これはJR各社にまたがらず自社完結の列車でもその傾向が出てきています。
 また、安易に運休とする要因に全国規模で鉄道を見守る組織がなくなってしまったのも原因のひとつです。国鉄時代は国鉄本社が長距離旅客列車と一部の長距離貨物列車の運行状況を把握していました。しかし、分割後貨物会社は全国一社制であるために全国規模の把握をしていますが旅客会社は自分のテリトリーしか把握せず会社外で何が起きようと無関心になっています。そのために遅れた列車は邪魔なので時間調整もなく遅れたままの列車が通勤時間帯のど真ん中を走り、他社管内に入ったときには調整も出来ず通勤通学の足を乱してしまうと言う事も起き、その弊害も安易な運休につながっています。
 話がだいぶ逸れてしまいましたが、本来JR化そのものが地域貢献を主眼としていたため短距離輸送にばかり目が行ってしまい、長距離旅客輸送がなおざりになってしまった事が分割のひとつの弊害と言って過言ではないと思います。
 
 JRに分割され20年も経つので国鉄に戻る事はないでしょうけども、鉄道が災害に強い頼れる日本全土を結ぶ国民の足であり続けるために、JR各社幹部の思想転換をお願いしたいものです。


国鉄を最後に撮ったひとコマ。PFのミト座なんて何で撮ったのだろう?  87,03,23 函南 9303レ

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コメント一覧

謎の鉄道系テレビカメラマン
段長殿はずいぶんひどい思いをされたのですね。読んでいて残念さと怒りが伝わってきます。

 JRというのは解散や経営破綻した会社を銀行から派遣された経営団が旧経営陣を駆逐し、刷新経営を行っているものでありません。基本的にほぼ当時の幹部がスライドして経営に当たっているだけです。
 「企業」を気取るのなら放漫経営を許した旧幹部連は一掃する必要があったはずです。 役人ボケした高級幹部に「企業」の真意がわかっていたとは思えません。なぜなら「企業」経営者には「経営責任」が生じるはずで、経営の不具合を使用者責任に転化するのは経営側としてまったく責任を感じていないことに他なりません。

 国鉄破綻の責任を問うなら「我田引鉄」のツケを踏み倒したといえるバッジ先生達も同罪でしょう。センセ連も自らの罪には触れようともしません。与党以外に「我田引鉄」をしえた存在はあったのでしょうか?

 彼らは言葉巧みに責任回避をし、国労はスケープゴートに利用されているだけです。
 いつの時代も為政者が自己批判する事などありえない…。

 外部の雑音と聞き流してください。
 
 
 
 
 
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