通称”伐採地”と呼ばれたこの撮影地はニセコを発車して速度がある程度上がる地点なので結構な速度で走り抜ける事が常で、それがかつての特急機を彷彿させる様に見え、お気に入りの撮影地でした。 90,05,01 ニセコ―比羅夫 9163レ オリンパスOM1 TRI-X スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
鉄ちゃんになってしまった以上、その性として”あと何年早く生まれてば◯◯◯線の◯◯が撮れたのにぃ!とか◯◯線に乗れたのにぃ!と妄想を巡らすのは誰しもが思う事だと思います。1958年生まれの身であれば呉線のC59とC62は見たかったし南九州の磨き上げられたC57やC55を撮影してみたかったと事ある事に思います。本当はもうひとつ、北海道の函館山線のC62もその迫力を肌で感じたかったのですが、これだけはバブルと言う追い風もあり関係者のご尽力の元、88年から復活したC623号機のおかげで重連ではないにせよ現役さながらの光景が体験でき、また思う存分撮影が出来、日本最大の蒸気機関車であるC62の生の姿を見て、そしてがむしゃらに情熱を注げた事は自分の人生の宝だと常々感謝しています。
今思えば入手困難だった〝北斗星〝のハネを職権濫用で確保した事、また飛行機も割引制度が充実していない時期にほぼノーマルの料金を出してよくもまぁ、あれだけ北海道に通ったと今も思います。足繁く山線に通ううちに顔なじみの鉄ちゃんも多くなり撮影が終わってからの倶知安での呑み会もだんだん派手になり居酒屋を貸切って一晩に何十万円も居酒屋に払った事もありました。
それが原因かは定かではありませんが今、同世代の人といろいろ話すと自分の貯蓄は人より少ないのも今思えばこの時代の旅費に消えていったものでそれを思うと納得出来るし、おかげで自分がもう少し早く生まれていればと思っていたひとつが体験できたので十分納得出来ます。
レールマガジンににも書いた事がありますが、のちに”金五郎山”と呼ばれた撮影地はまだC623号機復活の話など全くなかった時代にDD51を撮影するので訪れた事のある場所でした。この地に立ち”はかない夢かもしれないけど、この勾配を登って来る蒸機が見たい”と思った事がりました。それが数年後、まさかC62で見られるとは・・・この山を登る時、その日の事をいつも思い出していました。 90,05,02 蘭島―塩谷 9163レ No1 オリンパスOM1 TMY スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
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