DT200Aの庫 (goo-blg)

40年前の10月 長野国体のお召列車


 何も予備機にこんなPS22搭載のカマを選ばなくても?と恨んだものでした。たぶん直近の全検出場車を選んだのでしょう。嫌なら本務機だけを撮れば良いんですが横に奇麗に磨き上げられたカマがいれば入れて撮ってしまいます。     78,10,14 篠ノ井機関区 

 1978年(昭和53年)10月は長間国体が松本市で開催され天皇陛下が開会式に臨席されるためにお召列車が運転されました。開会式は15日でしたが合わせて県内視察のため13日は原宿―長野間(原宿―高崎間EF5861号機、高崎―長間間EF62が牽引)、14日が長野―松本間で運転されEF64が、また国体開会式にご臨席された天皇陛下をお乗せして16日は松本―原宿間EF64牽引でお召列車が運転されました。
 当時はまだ免許も持たず移動手段は列車でしたが本数も多く不便とは思いませんでした。当時は列車移動が当たり前でまた高速道路網が整備されておらず一番便利で速いのは鉄道で他の交通機関を使うのは頭に浮かびませんでした。


 国鉄時代、お召担当機関区に選ばられると言う事は機関区の栄光であり誇りでもありました。正装された機関区で代わる代わる検修の人が記念写真を撮影する姿はその表れであるように思えました。本当は邪魔なんですがこればかりは成り行きに任せて終わるまで待つしかありませんでした。     78,10,14 篠ノ井機関区

 なお、余談ながらこのお召列車運転に際して長野国体の事を調べているうちに面白い出来事が記録に残されていたのでここでご紹介すると、この長野国体を誘致する際には、県の二大都市である長野市と松本市のどちらを主会場にするかで両市が激しく対立し、当時の夏目長野市長と深沢松本市長との間で会談が行われた。その結果、秋季国体の主会場は松本市になり、長野市には将来長野県内でオリンピック等の大規模スポーツイベントを開催する際には主会場にするという見返りがなされ、98年の冬季長野オリンピック開催へつながっていったと言う事です。この時のお召列車の運転経路も目的地の松本へ直行せず、前々日の長野に立ち寄ると言う不思議な行程だと以前から思っていましたがこの様な経緯から長野市に顔を立てた形になったと永年の疑問が腑に落ちた次第です。


 この周辺は激変して当時の面影を探すのが大変です。こんな好撮影地であっても鉄ちゃんは数人だけだった記憶があります。このお召列車撮影後に麻績駅に戻ると貨物列車が停車していたのでダメ元頼んでみると即座にOKが出て麻績駅から篠ノ井駅まで貨物列車に乗せてもらったのが良い思い出です。    78,10,14 麻績(現:聖高原)―冠着 お召

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