C61はデコイチのボイラとシゴナナの下回りを基本ベースに出来上がった改造機です。(将来のローカル線入線を見込んで従台車が1軸から2軸になっています。)
なぜ新製ではなく改造かと言うと、当時の日本を占領していた米国占領軍が改造でなければ認めないという意向でそれに沿って改造名義としたと言われています。ただ実際はボイラー以外は新しい部品を使っていてほぼ新製に近かったと言われています。その中でC6120号機はD511094号機のボイラーを流用し三菱重工業(軍事設備の平和利用だったのでしょうか?)で49年7月31日に落成しています。(Wikipediaより)
そして今回は全くの偶然でしょうがJR東日本には種車2形式(D51とC57)と改良形式1形式(C61)と揃い踏みとなるも何かの縁なのでしょうか。
一説によるとこのC6120号は高崎や新津の配置とはならずに東北地方の何処かに配置となるようなのですが、もし実現すればC61にとって縁の地に里帰りとなります。実は電化前の東北線や常磐線。さらに奥羽線秋田-青森間はC61が活躍した線区だからです。東北線や常磐線での優等列車ではそこそこの牽引力と共に高速走行も求められたためC62共に自動給炭機(ストーカー)があるが故に機関助手の労働環境軽減の目的でC61が優先的に充当されたという歴史があります。また、奥羽線は電化直前まで本州最後の活躍の地とした事でも有名です。
奥羽線秋田-青森間電化後のC61は廃車と言う大方の予想を覆して誰も予想しなかった日豊線へコンバートされる事になります。遠く青森機関区から宮崎機関区に配置に移動したC61の中に今回の20号機も含まれていました。
C6120号機復活後ですが2-C-2のハドソンという軸配列なゆえに急曲線のある線区での走行は厳しく電化区間ながら東北線等の大幹線や磐越西線郡山-会津若松間準幹線でのイベント運転が主になってしまう気がします。(電化区間の蒸機運転は魅力を感じないのですが…)それでも比較的カーブが緩いローカル線区にも入線考えられ、北上線あるいは陸羽東線・釜石線等があげられます。(但し陸羽東線や釜石線は途中に急カーブが存在するので、実際に入線できるかは確定できませんが…)
それらを考慮すると蒸機の受け入れ経験のあり、また各地への出稼ぎ興行への発送手配が容易な郡山・小牛田等が配置区として予想されます。
ところで蒸機の復活は諸手を上げて賛成なのですが、牽く客車はどうするのかなぁ?と首をかしげてしまいます。既に12系はデコイチ用が高崎に、7両とばんえつ物語用が新津にあるのみ(1両は14系)。14系はすべて廃車。高崎の旧型客車の牽引なら良いのですが、その線はまず可能性はなし…となると、東日本管内で残された客車と言えば尾久と青森運転所にある24系客車が思い起こされます。寝台列車が廃止となり若干の保留車もあるとの事なので24系寝台車を座席車に改造が推測されますが窓の開かないSL列車ってあるのでしょうか?それとも窓まで手を入れる大改造までするのでしょうか?
いずれにせよ、復活シロクニが絶えた後、見ることが出来なかった活きたハドソン型がまた見れるという事は楽しみでなりません。斜光線で動輪が輝くハドソンの姿を思い浮かべるだけでワクワクしてきます。(こんなとき、隣ではハッセルを出してきて形式写真を撮っている某氏の姿が今から見えてきてしまいますが…笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/fd/dc396f7c6a3f382ca751146ac462f0b3.jpg)
青森・宮崎と共にした2号機は最若番という事で梅小路入りしましたが、すぐに静態保存に格下げされてしまいました。その無念を20号機が代わって叶えて欲しいものです。 93,10,08 梅小路ナイトオブジェ
SL 展示のC61復活、37年ぶり運行へ…JR東日本
6月10日15時0分配信 毎日新聞
SL(蒸気機関車)の再生計画を進めているJR東日本は、群馬県伊勢崎市の公園に展示されている「C61」を復活させる方針を決め、近く本格的な点検作業を始める。イベント用や季節列車としての活用を検討しており、11年春には37年ぶりの汽笛が聞けそうだ。【斎藤正利】
SLの復活は99年に磐越西線(新潟、福島県)で「C57」が季節列車「ばんえつ物語号」として運行を始めて以来、12年ぶり。
JR東日本は「貴婦人」と呼ばれる「C57」と「デゴイチ」の愛称で知られる「D51」を持っているが、いずれも季節運行や各地のイベントなどへの引き合いが多く、すべての需要に応えられない状況という。
このため、保存状態の良い車両の情報を集約し、アニメ「銀河鉄道999」のモデルにもなった「C62」など12件を対象に再生を検討してきた。そして、同社が譲渡し、伊勢崎市が管理する「C61-20号機」の復活が可能と判断した。
「C61」は東北線最初の特急列車「はつかり」をけん引した名機関車で、1947~49年に33両製造された。自動給炭装置を備えた近代的なSLで、力強さとスマートな足回りが特徴。長さ20メートル、幅約3メートル、重さ78トンで、動輪の直径は1.75メートルもある。最高速度は時速100キロ。ブルートレイン(寝台特急)「はやぶさ」などもけん引し、東北、奥羽、鹿児島各線などを走った。74年、日豊線の延岡-南宮崎間を最後に姿を消し、翌年廃車になった。
20号機は部分解体してトラックでJR東日本大宮総合車両センター(さいたま市大宮区)に運び、修復する。作業は約1年かかり、メンテナンス専用の施設建設費を含め、費用は約3億円と見込む。同社の担当者は「家族連れに楽しんでもらえるよう、万全を期したい」と話している。