品川客車区の一般車で組成された創臨8345レ。東京地区の創臨は日帰りのためにこのように夏であっても非冷房の一般客車やセミクロスの113系(…といっても当時は113系も絶対に冷房車という保証はありませんでした。)が充当されていました。品川客車区担当らしく機関車次位に、さらなに43系4両を挟んでさらに続けて10系客車が連結されています。このように編成は来て見ないとわからない楽しみがひとつの醍醐味でもありました。ちなみに牽引しているのは私が東京機関区のゴハチの中で一番好きだった124号機で、影になってわかりづらいですが可動式のスノープローを備えています。 76,07,31 大船 8345レ EF58124
弊ブログと相互リンクを貼らして頂いている”拝啓 井門義博です”に面白い記事があったので転記させていただきました。
鉄研三田会先輩のノーブルジョーカー竹中寿人さんから的確な指摘を頂きました。
判りやすいのでそのまま転載致します。
国鉄用語で「雑形客車」とは制式以前の形式を総称する用語で、具体的には統合前の山陽鉄道や九州鉄道などから引き継いだ車両(その後の私鉄買収を含みます)を指します。
しばしば間違えて使用される方がいるので、客車界の大物HP「客車倶楽部」の掲示板でも下記のように注意書きがあり、啓蒙活動に努めているのです。
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オハ35・スハ43等を「雑形客車」と称する方がいますが、本来「雑形客車」とは私鉄買収車等の国鉄標準形客車以外を 指す用語ですので、この掲示板においては極力「在来型客車」「旧型客車」といった呼称を使用するようにして下さい。
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20系では「固定編成客車」という言葉が誕生しましたが、それ以前のオハ35系やスハ43系を区別して総称する言葉は、国鉄用語としては存在しません。その意味では何と呼ぼうが勝手ではありますが、少なくとも国鉄用語として別の意味を持つ「雑形客車」が存在しますので、誤解を避ける意味でも他の言葉を使うことをお奨めします。
この文を見て私は今から30年前のを思い出してしまいました。当時、日本各地に現在で言う旧型客車が現役として活躍していました。特急運用はもちろん20系・14系化され運用はないにせよ、東北線の”八甲田”や”奥羽線の”津軽”常磐線”十和田”をはじめ日本各地で急行列車には当たり前のように一般客車が充当されていました。
この頃、客車の運用表では現在の旧型客車=一般客車を”一般車”と表記をして12系や14系と区別していました。そのため運用表の形式欄にはハ・ハフ8(一)等と表記されていました。
臨時列車運転の局報(運転達)が出るとまずは機関車運用を見て何処のどんな機関車が牽引するかを調べます。そして時刻を調べて撮影時間帯かを確認します。そして最後に客車は12系か14系か、はたまた一般客車か?と調べていきます。もし一般客車であった場合のチェックポイントは何処の客車区が担当の一般客車かという事が大切でした。その区にスハフ32が配置されていれば、それが組み込まれている可能性があるし、また10系客車が配置されている区(当時、10系客車は品川と尾久客車区しか配置されていなかった記憶がありますが…本当にうる憶えです。)であれば10系客車主体で組成されてくる場合もありました。つまり一般客車というだけで客車の形式は何が入るかわからないのです。この”わからない”という不確定要素がまたたまらなく魅力でした。
例えば通常、郡山客貨車区の一般客車は波動輸送に充当されないのですが(たぶん予備車がほとんど無い?)、集約臨(修学旅行の臨時列車で国鉄との契約形態でこの様な呼ばれ方をします。ちなみに現在もこの呼び名は残っています。)だけは郡山客車区の一般客車が充当される事がありました。この頃、内規にはなかったものの座席の通路側の肘掛がない車両は優等列車には充当しないと言う慣行があってオハ61型は肘掛がないので基本的に優等列車には充当されていませんでした。ところが集約臨は優等列車ではないので(列車種別も臨急客ではなく通客になっていました。)普段は普通列車にしか充当されない客車が組み込まれる事もあったようです。さすがにオハ61が入った集約臨の写真は残っていませんが、スハフ32の入った集約臨は目撃した記憶はあります。
EF57が東北線集約臨を牽引する姿。客車が統一されているので優等列車を担当する客車区の持ちと思われます。 76,10,21 鶯谷 8116レ
そして旧型客車の運用で忘れてはならないのが冬の限定運用です。一般客車は夏の間はすべて共通運用ですが11月に入ると暖房種別が運用表の形式欄の末尾に明記され、北国が冬を迎えたことを感じさせてくれた事を思い出します。北海道を除く北日本では蒸気暖房ではなく電気暖房(電暖…対して蒸気暖房は冗談になるので蒸暖とはいわずSG車と言います。そのためSG車に対してEG車と呼ぶこともあり結果、電暖車=EG車ということになります。)の機関車牽引となるケースがあるためにEG対応された2000番台車限定となります。北局等はEG対応の一般客車しか配置されていないために省略していたケースもありますが、品川客車区の一般客車は2000番台になっていない一般客車が配置されていたために冬に東北線等で使う場合は電暖(またはEG)車限定と明記されていました。対して東海道線ではゴハチ牽引だったので当然SGのために運用の制約はなく、東海道線(山陽線直通。さらには九州直通も含む)の一般客車運用には機関車がSGで合ったために冬でも暖房の種別は省略されていました。
余談ですが当時、千葉局の佐倉客車区が一般客車を20両程度配置して存在しましたが、佐倉客車区は定期運用を一切持たず波動輸送期になるとDD51牽引で成田経由で尾久に回送され臨時急行などに充当されていました。(多分千葉局で客車組成の定期普通列車を淘汰した時点で合理化できずに残ったのだと思います。現在も佐倉客車区の跡地は電留線として使っています。)佐倉の客車が回送される姿を撮ると、いいよいよ夏臨(あるいは冬臨)本番だなぁ!と感じたものでした。
ところで当時、地方ではDD13の客車列車が存在しました。清水港線・和田岬線等が該当しますが、これらの線区の暖房はどうしたのでしょうか?また地方では混合列車もまだたまだありましたが、機関車次位に客車が連結すれば暖房の供給が出来るものの、間に貨車が入ってしまったときはどうやって暖房の供給をしたのだろうと疑問が残ります。清水港線や和田岬線は運転時間も短いし温暖な土地柄だけに、もしかして真冬もあまり寒くないから暖房が入らない暖欠?いゃ、臨時列車ならともかく定期列車ではありえないでしょう…?では釧網線や五能線の混合列車の暖房は?真実は…もしかして客車に暖房設備がある?そうかぁ…ストーブ列車だったのかなぁ?
ところでウエバストと言う機器があります。冬場にDD13には機関保温のために設置された機器ですが、これが旧型客車に搭載されていたとすれば暖房はある程度効いたはずです。真相は如何に…????
北海道の豪雪のため青函連絡船のダイヤがズタズタ。そのために常磐線夜行列車も大幅な遅れを出して運転されていました。寒空の中、いつくるかわからない列車を待つ事が出来たのも若さと情熱の証です。こうやって一般客車が当たり前のように優等列車充当されていた時代にカメラを持って歩き回る事が出来たのは、本当に幸せでした。ちなみにこの場所は現在も撮れそうですが線路際のフェンスには放置自転車の嵐で絵にはならないと思います。(画面の上部にムラがあるのはベルト式現像タンクでベルトを強く蒔きすぎたために現像ムラが発生したためのもの。白黒現像も自分でしなくなった現在はそんな苦労も心配もすることはありません。) 77,01,07 北小金井 204レ
”拝啓 井門義博です”の中で竹中寿人氏の主張するように正式には一般客車と呼ぶべきだったのかもしれませんが我々の仲間内では親しみを込めて雑型客車。通称”雑客”と言う言葉で呼ばれていた記憶があります。”×月○日の8401レは12系ではなく雑客で運転されると局報に出ていました”等という会話がされていた気がします。
ちなみにJRになってからは旧型客車と表記されています。いつから一般車から旧型客車に表記変更されたかは記憶にありませんが、国鉄時代に保存対象で高崎に一般客車が集められた頃から表記が変更された様です。
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