東海道線へコンバートされ湘南色をまとっていながら古巣の横須賀線の線路を走るE217系のレアな写真です。実はこの日、長大間合いで早朝、旅客線を走っていた貨物列車が新子安―鶴見間で走行不能となり救援を迎えて新鶴見に収容すると言う出来事がありました。発生は夜中だったものの救援機関車到着に時間が要して結局はラッシュ帯ので影響が出てしまい横浜で抑止されていた724Mは横須賀線経由で運転された時の写真です。本来、指令は102レ”銀河”よりすべての上り列車を横須賀線経由運転と指示しましたが102レの運転士(機関士)はどうやら横須賀線の線見をした事が無かったらしくすったもんだしている間に救援が完了してしまい、結局横須賀線迂回はこの724Mの1本だけだったと記憶しています。 07,05,28 鶴見 724M
北陸新幹線金沢開業や〝トワイライトエクスプレス〝の引退、あるいは〝北斗星〝の定期列車離脱の話題の中で全く注目されませんでしたが、とうとう東海道線からE217系が撤退したもようです。これは上野・東京ライン開業にあたり同形式が東京ー来宮間しか運転出来ない(乗務員の関係?)ために直通運用には充当出来ず使い勝手があまりにも良くないためだと思われます。
東海道線で使われていたE217系は113系置換え時にE231系の不足分を補うために06年前後に横須賀線から15両編成3本がコンバートされてきたもので、なんなかんやで10年弱も東海道線で活躍してきた事になります。最初はE231(E233系)系の増備が出るまでのワンポイントリリーフって聞いていたんですがぁ・・・ちなみにすでに1本は古巣の横須賀線に戻り最近は2本が活躍していました。
運用は前述の通り東京ー来宮間に限られ終日15両編成で運用途中で分割併合のない運用には充当されていました。交検の日などはE233が充当されている姿をよく目にしていました。
東海道線を離れたE217系は古巣の鎌倉総合車両所(旧大船電車区)に戻ると推測されますが東海道線に使用されていたE217系は一番車齢が古い編成だけに去就が気になります。
この当時からいずれE217系は横須賀線に戻るだろうと予想して撮影はしていましたが、なかなかその機会に恵まれませんでした。この当時、先頭のスカートはオリジナルタイプを装着していました。その後、人身事故の際に巻き込みを極力されるためにスカートの形状がとがった形になりE217系もE231系に準じた形状になっています。 08,01,04 新子安 3755M Canon40D
この横須賀線から流れて来た湘南色のE217系は限流値を上げてE231系とほぼ同じ加速度になるようにしてありました。もともと横須賀線用のE217系は付属の4両編成は限流値を上げて使用していと伺っています。これは逗子ー久里浜間のチョン行行路で4両編成で運転すると基本編成よりも加速が悪くなりE217系の本来のスジに乗れないために付属編成だけ限流値を上げたと鎌倉総合車両所の人に聞いたことがあります(昔、横須賀線の運転士をやっていた人に逗子ー久里浜間は同じ113系でも6M5Tと2M2Tと二通りのランカーブがあったそうで、ノッチオフの個所がだいぶ違ったと聞いたことがあります)。しかし基本編成と付属編成と限流値が異なって乗り心地が悪くならないのか?と思うのは素人のあさはかさでしょうか?
変化のない東海道線で唯一の面白味があったE217系ではあったものの利用する立場で言えば椅子が209系流れの戦時復興客車みたいな硬い椅子は長時間の乗車には苦痛でしたしE231またはE233系とボックスシート車の位置が異なり乗ってびっくりという事が何度かありました。同形式の東海道線撤退は東北・高崎線乗り入れが出来ないために致し方ないとは言えアクセントになっていた形式だけに惜しまれます。【一部Faice Book再掲】
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