今はなき東京第一運転所総合庁舎非常階段から撮影した0系電車です。この10メートル先に八つ山隋道がありますのでそれで位置関係がわかっていただけると思います。100系登場の数年前。0系がもっとも輝いていた時代です。 78,10,30 東京-新横浜(品川)
おかげさまで今日、東海道新幹線は50周年を迎える事が出来ました。多くの方に祝福され夕方になると各局TVニュースでその話題で持ちきりです。前日(9月30日)には浜松U1でポイント不転換が発生し一時はヒヤヒヤでしたが何事もなく50周年の日を迎える事が出来ました。ひとりの名もない関係者としてこの素晴らしき日を何事もなく迎えられたと言う事は嬉しい限りですがその影には50年間乗客には眼のふれないところで黙々と安全・安定輸送のために働き続けてきた現業機関の苦労と努力を忘れるわけにはいきません。特にマスコミでは50年前に210k/h運転にこぎつけた事実ばかりが持て囃されていますが、そのためには未知の速度領域を支えるために保線技術は言うに及ばず、今とは格段に劣悪な条件だった電力事情(当時は家に居て突然停電になるなんて珍しい事ではありませんでした。あの頃の日本は今の新興国並の電力事情だったと言っても過言ではありません。)の中で515キロの距離を交流25,000V電化開業すること自体、無謀としか言いようのないものでした。しかし先人はDL牽引の新幹線と言うプランもある中、今の電力事情より絶対に悪くなる事はないと交流電化での電車運転にこぎつけたと言うことはほとんど知られていません。もしDL牽引となれば当然に軸重が重くなり最高速度も抑えられ今の新幹線の姿ではなかっただろうと言うことは容易に想像が出来ます。また、高速鉄道では地上信号機と言う選択肢はあり得ないと使用実績のまったくないATCを列車保安方式として採用した英断には今も、尊敬とともに高速鉄道を造り上げると言うその信念の元、失敗を恐れず新技術を採り入れて行った高揚感がヒシヒシと感じざるにはおえません。
その存在に賛否はあるにせよ今、ここに全国に繋がる新幹線網が出来上がりつつあるののも先人の先見の眼の賜物であることは言うまでもないと思います。そして三島事故(0系時代に駆け込み乗車でドアに挟まれたまま列車が動き出しでホームから転落し高校生が死亡した事故)以外は旅客死亡事故0を続けている事に鉄道と言う輸送機関に働く労働者全員で共有の誇りとして持ち続けて行きたいと思っております。
この50年。世界に誇れる安全で、より正確な輸送機関として定着したのも、ひとえにこの半世紀、東海道新幹線の各現業機関の皆様がそれぞれの職責を全うし続けたたゆまぬ努力と、苦労の成果だと思います。JR東海社長に成りかわり関係各位に深く、深く御礼申し上げます。
100系公式試運転の日は土砂降りの雨でした。大井支所に行けば見れたのですが、なぜかこの日がはじめての100系でした。東京駅の14番線で待っていると大井支所から回送されてき来ましたが、100系のその洗練とした姿に”ニュー新幹線”と言う言葉がフィットするように思えました。このX0編成は各鉄道車両メーカー混成編成でしたが某メーカー(造船やバイクのメーカー)の車輛はこの土砂降りの雨でなんと天井から雨漏りるし始末。大勢のマスコミが乗車している中。雨漏りはあまりにも情けないので気の効いた人が貫通扉(車内に入る扉)に”気密試験立入禁止”と張り紙をしてマスコミを排除した事を思い出します。 85,03,27 東京駅
コメント一覧
DT200A@CF-S10
ワム8
最新の画像もっと見る
最近の「鉄ちゃん」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事