社会に向けたがん医療教育の目的には
「健康に関するレジリエンスを育む
(疾病状態になったとき、
その現実に揺さぶられてしまう度合いを最小限にし、
健康(Well-being)を取り戻す力を持つ)」と
「支え合う社会の構築への意識づけ
(ソーシャルキャタピラーの一員になる)」
が 含まれることが重要だと
日頃の診療から感じています。
例えば、
最近の乳がんのニュースを見ていると、
マスコミは、その目的は
視聴率を上げることにあり、
好奇な視点で発信をしています。
目的は、そこではないはずです。
情報を発信することで、
がん医療の適切な知識を
得ることにつながり、
弱さをもつということを
一歩踏みとどまって考える機会の提供でもあり、
そうした時、
視聴者が何らかの陽性の行動変容に繋がったり、
忍容性を獲得したりすることに繋がること。
ひいては、視聴者のWell-being
(よりよくあること、健やかであること、幸福であること)の
向上に役に立つことが目的になければ、
視ている人々は
心地よさを得ることができない番組になってしまいます。
その当事者の方々はもちろんのこと、
多くのがん患者さんやそのご家族が、
そうした報道に辛さを思い出したり、
心が揺さぶられたりしないことへの
配慮もとても大切です。
今年に入って、
がんの大人の近くにいる
子ども達のケアに関する書籍を作りたく、
複数の出版社に相談しました。
ある学会で聴き取り調査をしても、
購買予想が低いと断られました。
その時、ある出版社の方に申し上げました。
社会に流行っているものを本にして
売れることだけが使命ではないはずです。
真に社会がよりよく成長していくために、
発信しなければいけないことがあるはずです
と。
今から13年位前。
まだがん対策基本法はない時代。
緩和ケアは、社会的には終末期医療でした。
その当時から、早期からの緩和ケアをHPに書いたりして、
取材を受けたライターさんに
緩和ケアが早期から関わる意義について話したところ、
とても、興味深いので、
編集会議で提案したいと言われました。
その方は本当にご理解くださっていましたが、
多分誰でもご存じで、比較的知的な雑誌でしたが、
意味がわからない、
女優の〇〇さんががんにでもならない限り
記事にすることはない
と言われたと聞きました。
その当時、ドラマに何本も出ていらっしゃった
女優さんの名前でしたが、
苦笑というか、言葉にもなりませんでした。
そういう方ががんになっても
まず、組めないテーマだと理解できましたので。
そういう意味では、
この一週間の動きの後なら、
子どもたちへのケアの本は、
出版社の編集会議でも
検討してもらえたかもしれません。
注目されているという理由で。
でも、そのようなことで
右往左往するとしたなら、
それは、物事の本質から
ずれているということです。
何のために、どうして
エネルギーをそこにかけようとしているのか。
その子どもたちへのケアの本は、
結局、緩和ケア領域の本を
沢山出版している会社の方が、
即、応じてくださいました。
部数はあまりでないかもしれませんが。。
というと、
でも、大事ですよね。
前にも、弊社ではそういった書籍を
出していますし。
ああ・・わかってくださっているんだ・・
きっと、沢山の緩和ケアの本を作成する過程で多くを学び、
緩和ケア医療者との接点から
同じ方向を向いてくださっているんだと
心から嬉しくなりました。
最近は、乳がん検診の話が多くなってきました。
美容院に行っても、質問をされました。
検診ってどういうのですか?
この近くだったら、どこがいいですか?
などなど。
検診を受けることはよいと思います。
ただ、問題は、検診は
万能ではないことも知っておく必要があります。
仮に、乳がんの疑いと出ても、問題なしと出ても、
常にその逆があり、その頻度は
けして、低くないことは知っておく必要があります。
さらに、病理診断でも
白黒つけることは大変難しいがんの一つで、
グレーゾーンをどう読むか、
病理のセカンドオピニオンもある位です。
こうした身の回りのことに対し、
対処していくために、
拠点病院の相談室を利用するなど
落ち着いて取り組んで行けることが
大切です。
芸能ニュースに触発され、
検診受診率が上がるのはよいことです。
でも、そのような背景があることを理解し、
検診の説明を聞きながらも、
定期的な検診を受けたり、
相談したりすることを
どうぞ、わすれないでください。
小中高生へのがん教育が進んでいます。
学会にも協力要請が来ています。
がんの特性を学ぶことを通しながらも、
目標とするのは、
・自分の体に興味をもち、大切にする意識を持つこと
・単に疾病の罹患の有無ではなく、疾病状態でも健やかに過ごすことができることを知ること
(がんに罹患した家族がいても、
それは、けして取り組みの失敗ではなく、
Well-beingを目指すことができること)
・健康への社会貢献に参加できる意識の涵養
(社会というチームで支え合う一員となること)
けして、予防や検診までで留まらず、
健康に関するレジリエンスを育み、
援助者としての意識を持つような
教育であってほしい
そして、社会を成長させていく教育であってほしいと
先週からのマスコミを見ていて、切に願っています。
私も先週来の報道を見ていて、思うところがありました。
とある、報道番組のコメンテーターの方がおっしゃった言葉に私は賛同したコメントがありました。
「好奇心という下心を善意という衣で、史いるようなことを懸念する。」と言う事でした。(私の解釈ですが。。)
私もその言葉に心の中で、賛同してしまいました。
また同時に。。。
2人に1人はがんになると言われる現代の日本。
余りに身近になさ過ぎる方もいらっしゃり、それはとても幸せなことだと思いますが。。
善意であろうとは思いますが、私を励ます意味であろうと思いますが。。
励ましになっていない。。それって。。返って傷つく。。。そんな言葉がいかにとげとなって刺さったことか。。とも思ったことがありました。
世界で起こる全部の事に関心を持て!!とか知識を持て!!とはもうしませんが。。知らないなら知らないなりに、人生経験の中から、選ぶ言葉に心の優しさが出ることがあるとも思います。ここにはうまく書けませんが。。
思うことが沢山ありました。主人の闘病中も色々ありました。。と、今更ながら、つれつれと。。。思い出します。
そして自分自身の自戒も込めて。。
>知らないなら知らないなりに、人生経験の中から、選ぶ言葉に心の優しさが出る
この言葉、とても素敵です。
モラルや人格から問うても解決はしないでしょうが、がんという疾病や人の支援者となるためのコミュニケーションのあり方など、マスコミ・報道する方々にも、学ぶ場が必要なのではないかと思います。これが、社会が成長するための機会になれば、勇気をだされた方々の辛さを無駄にしないような気持ちです。
ぴょんさんも、心の内をシェアしてくださり、本当にありがとうございました。嬉しかったです。