ホスピスの原点は十字軍の遠征のころでした。
戦地から戻る最中
亡くなる人が孤独の中で死を迎えていることに
もてなしの家をつくったのがホスピスの始まりでした。
家族に迷惑をかけたくない
家で死にたいけれど核家族でそうもいかない
ある意味多くの方が孤独な今の時代に
家の温かみの中で人生を閉じることは
簡単なことではなくなっています。
このグループホームのような家のホスピス
これぞ、真のホスピスだと思いました。
東京にも有名なグループホームのホスピスがありますが
兎に角、お金がかかりすぎています。
普通の家、普通の人々、平凡さ、あたりまえのこと
これが本当に大切なのです。
是非、一度HPに行って見てください。
本当に素晴らしい活動です。
このかあさんの家と繋がりがある方が
私の近くにいらしたということも誇りでした。
私が出来ることといえば
がん性疼痛緩和の話や
症状緩和のプラン立て位ですが
これでボランティアとしてお許し頂けるなら
いつかお訪ねさせてください!!
素晴らしいですよね。多分、金銭的な部分について、社会資源の活用には熟知された方々が福祉と協働されているようなので、十分な検討がされていると思います。
もはや国の支援は期待できません。少子化等から国は小さな国家に縮小していく方針。できるかぎり、行政ではないところで、私達で何とかしていくしかない社会になっていることを覚悟し、実行しなければならないのです。そういう意味でも、このかあさんの家の方々には本当に気概を感じます。
もっともっとそうやって支援しようとしてくれる人達にも、切羽詰っている当事者にも国の支援が暖かいものであってほしいと思います。
ブログのご紹介ありがとうございました。是非、ご訪問させてください。これからも、よろしくお願いいたします。
私の妻は「多発性骨髄腫」という血液の癌を告知され、もう8年になります。67歳の夫が看病しておりますが、もうこの年になると、看病と家事などで、かなり疲れが溜まっていますが、二人とも、クリスチャンなので、死に対する不安などは全くありません。
最近、こんなことばを、ネット上のどこかで見ました。含蓄のあることばだと思いました。
「あなたが"死にたい"と言って無駄に過ごした今日は、昨日死んで行った人が、懸命に”生きたい”と思っていた"明日なんです。」
最近、「死にたい」という若い人が急増していますね。
裏を返せば、それは、「生きたい!」「生きる意味を知りたい!」という心の底からの叫びなのだろうか、と考えたりします。
人は一体、何のために生きているのでしょうか。
人はどこから来て
何のために、勉強し、働き、生きて
どこへ向かっているのでしょうか。
なぜ、人は孤独なのでしょうか。
愛とは何か、生きる意味、死とは何かなどのことについて、ブログで分かりやすく聖書から福音を書き綴って来ました。
ひまなときにご訪問下さい。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/
(聖書のことば)
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
★私のブログから----------。
「生きる目的は一体何か」
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/m/200705
ね、ね、素敵な所ですよね。同じように感じてくださっていることが、本当に嬉しい!