あらためて、
死ぬ・・ということだけを考えると・・
いずれ、私たちは死にます。
上智大学のアルフォンス デーケン先生は、
よく、「日本人もドイツ人も
死亡率は100%です」とおっしゃいました。
一瞬、沈黙・・に続き、笑いが起こります。
そうなんだ、その通りだ、忘れていたと。
その中にあって、
私たちは、ただ、ただ、
コツコツ今日を生きていきます。
今を自分の足取りで生きていく・・
死亡率100%なら、
今、生きていることは無駄か・・
そうは思いません。
ピーターフランクルの「夜と霧」は衝撃でした。
私達に、生きている甲斐や生きている意味などは
天から受動的に与えられているわけではなく、
自分自身が”甲斐”があると感じられる生き方をするまでである・・
そもそも、私が今、ここにいるのは、
人類の歴史からすれば、
ホンの点に過ぎず、
縦にみれば親から受け取り子にバトンをわたし
横にみれば社会の束の要素にすぎず
大それた使命を背負っているわけでもなく
今、生きていることで
役割は果たしているといえましょう・・
そんな生物的な役割に
生きた意味を彩らせるのは、
私自身に他ならないのだと思います。
先の見通しにためというより、
今をひたむきに生きる・・・
自分自身で生きる意味を持たせようと
探索し続ける姿は、
回りの人々の心を揺らし、
自然な形で手を差し伸べたいと思う・・
疾病に揺れる心から湧き出た
難しい問いかけに、
考える機会をもらいました。
Nさん、ありがとう・・
次の手術も、がんばろうね。
(おわり)
毎日のお仕事で、自然に、患者さんにそっと寄り添い、患者さんの生きるお手伝いをするお立場のお医者様だからかなぁ…。
「生きる」ということを考える作業を始めようかと思った途端に、昨年の3月11日が来ました。
5歳になる直前の娘と、ずっと一緒にテレビを観ました。
そして今月、キリスト教プロテスタントの小学校に御縁を頂いた娘は、今、ガザの停戦に関して、小さな心で懸命に考えております。「生きること」は当たり前ではない。
ということを6歳なりに感じている娘を観ながら、私も「生きる」ことを勉強しなければ、と思う昨今です。
先生、ご多忙の中、記事をありがとうございました。
患者さんは、この人なら、と選んでお話するのだと思います。先生に出会えた患者さんは、先生だからこそ、心の底から本音をぶつけてきてくれるんだと思います。痛みをわかってくれるから、痛みの話をするし、聴いてくれるから、何でも話せる。そんな先生に出会えた患者さんがうらやましいです。
私も、患者さんとの一期一会の出会い、大切にしながら、仕事をしよう、と思う今日この頃。それと、私も、先生に出会えて、いつ患者になっても安心!
それにとどまらず、ガザにも心を馳せられる様子は、私も学ぶものがあります。
コメント、ありがとうございました。
本当にありがとうございました。