4日後、訪問診療の医師が
訪問されるのではないかと思われる時間に
電話を入れてみました。
以心伝心・・・
本当にいらっしゃっていて、
何点か症状緩和の薬剤のことを話し合うことができました。
そして、最後の外来から10日後
お亡くなりになったことを
訪問看護師さんから連絡をもらいました。
この時のステーションがまた、素晴らしい方々で、
その10日間の経過について
簡潔に、でも、深く聞くことができました。
ご家族に障害がある方がいらっしゃいました。
在宅の医療スタッフは
患者さんのことだけではなく
ご家庭全体に目を配り、
みまもっていました。
その中でも、奥様は素晴らしい役割を果たされていました。
障害を持った方のケアをなさりながら
ご主人を見送られたことは
どんなにか大変なことだっただろうかと思いつつも、
だからこそ、可能だったのかもしれないと思いました。
私が出会ってきた、障害をもたれた方のご家族は
あるときは自分を抑え、がまんし
障害の方に合わせながら生活することが
自然になっており、それは、それは
芯があり、耐える力、自分をコントロールする力がある方々でした。
揺らぎがあっても、辛いときの気持ちを
上手に回りに伝えられることができる方々でもありました。
自分の限界もよくわかっていらっしゃり
私達はヘルプサインを受け止めることで
色々なことが上手く進んでいきました。
お亡くなりになってから一ヶ月ほどしたとき
奥様がご挨拶に来てくださいました。
どうしても会いたい方に会うことが出来たこと
お母様に自分のことを直接話し、お別れを伝えることができたこと
以前から、ご本人と最期はどうありたいかという話を繰り返してきて
その通りのプロセスだったこと
自分の意志通りの人生を送ったご主人を心から尊敬していること・・
最後の外来で
どのような医療を選択するか、残された時間のこと
手狭な外来でしたが、ベットを確保し
そこで訥々と話し合ったことを思い出しました。
(続きます・・)
残薬の引き上げを依頼され訪問しました。薬剤師はお亡くなりになられた後はあまり訪問する機会がないのですが。そのときに奥様が「本当にこれでよかったのでしょうか?主人は納得しているのでしょうか?・・・」と。
傍から見る限り本当によくお世話をなされていたと思います。でも、当事者となると納得がいくことってなかなかないのかも。
「お幸せだったと思います。きっと心では感謝されていますよ。私もいろいろ勉強させていただきました。」とお話しました。
どんなに医療を尽くしても、介護をしても納得はすぐには行かないものなのですね。
今年は年の初めから愛犬の死で始まってしまいました。もしかしたら「死」ということを考えなくてはいけませんと愛犬がメッセージを残してくれたのかも。
考えさせられます・・・
逝く人の大切な仕事だと思うのです。
「これでよかったよ、ありがとう、君と出会えてよかった・・」
そんな気持ちの確認ができなくて、死別後さまよう心の人たちが本当に多いです。生きているときにこそ、そうした時間を持てるように・・課題です。