井島先生の死を知って
改めて
準備のできていない
死別後の辛さが
どのようなものであるか
身をもって感じることができました。
亡くなられて
10年以上過ぎました。
これまでの間
色々なことがあると
先生がいらっしゃったら
どのようなご助言をくださるだろうか・・
模索していました。
最近になって
よっ!と手を高く挙げ
満面の笑みを向けてくださり
それで、いいんじゃないか
そう言って下さる先生の姿に
やっと、行き着くことができるようになりました。
先日、突然の死に戸惑われたご家族が
遠方から訪ねていらっしゃいました。
患者さんが病気と向き合われた旅路を
ご家族がたどり返すことは
大変大切なグリーフワークのプロセスです。
そのご家族の方が抱える悲しみに出合って
ふと、恩師とのここまでの道のりを
改めて想いおこしてみた次第です。
シシリーソンダースが
話してくれたことを思い出します。
私の頭に残っている
理解の範囲の言葉です。
“私達も、少なからず
喪失体験をしています。
死に向かう人々や
それを支える家族の
気持ちを理解しようとするとき
自分が経験した喪失体験を
さらに大きくした感情であると考えれば
けして、難しいことではないはずです。
大切な人を失った経験
失恋、引越し、転校・・
その時の気持ちを忘れないようにしなさい。”
井島先生の死は
私に多くのことを語ってくれます。
今尚、私の恩師です。
(シリーズおわり)
誰にも訪れる最期・・家族の時も自分の時も先生のような方とめぐりあいたいと心から思います。
緩和ケア病棟勤務した経験がある医師は同じような姿勢を持っているように感じています。身体疼痛だけではなく、心も含めたすべての辛さを緩和ケアでは対象にします。ただ、現在急速にがん拠点病院が増え、その条件に緩和ケアサポートがあることが盛り込まれているため、付け焼刃の緩和ケアチームが生まれているのも事実です。緩和ケアの普及が言われていても、がん疼痛にばかり目がいく状況にも戸惑いがあります。めぐりあいたいと言って頂いたこと、大きな力を頂いたような気持ちです。ありがとうございました。
「尿は汚れていますね・・大腸菌のせいです。お薬出しますから水分多く取らせてください、又2週間後につれてきてください」
「・・??前回石があると聞いてきたんですが・・」
「石はありませんよ」
「じゃ、悪いものもなかったんですね」
「全く無いかどうかは言えませんが、熱も出ていないんですよね?とりあえず2週間薬飲ませてください」
「??(前回連れてきたのが私でない為ほんとに??んでも何か聞かなければ・・・)大腸菌てオムツに排便した時に感染するんですか?施設では尿のおむつ交換でも陰部洗浄もしてくれていますし水分も本当にまめに取らせてくれている施設なんですけど・・」
「まあ、女性はどうしてもね・・とりあえず2週間様子見てください」
とうち切られました。
・・・ここまでは愚痴です。すみません。
待ち時間で母のストレスもピークで、オムツにも排尿があり気持ちが悪かったのか「痛い、取ってくれ、私の苦しみがわかるのか!!」等々声も荒くなり握った私の手をつねたり爪を立てたり噛み付こうとしたりでした。(母は元々子育ても体罰主義者だった為か自分の不快を回りの人に痛みを加えて訴える癖があります)大きな痛みを訴えるタイミングもずれていたり(例えば、導尿する為に寝かせてオムツを外した状態で、管を入れる前で誰も触ってもいないのに大声で痛い痛いと叫ばれる等)どこまで本当に痛いのか疑問もあります。
こんな痴呆の人の痛み(不快?)を緩和する方法もあるのでしょうか?やはり管轄は精神科になりますでしょうか?
数時間経ち私の腕の無数にあった母の爪あとも目立たなくなってきました。
こんなになっても生き続けなければならない事にかわいそうとも思ってしまいます。
恩師の記事を1から6まで読ませて頂きました。
父は余命宣告から約10カ月がんばりましたが、本人は辛く悲しかったのではないかと。。その事を思うと涙が止まらなかったり、もっとしてあげられる事があったのではないかと考えたりましす。。
それでも父は、私達家族と一緒にいる時間を大切に大切に過ごそうとしてくれました(私や娘を度々映画や買い物に誘ってくれたり、母とも二人で過ごす時間を大事にしていました)
余命宣告から亡くなるまで、不安で気が休まる時がなかったのも事実だけど、父と別れるまでの10ヵ月は本当に幸せな時間でした。さよならを言う心の準備も少しずつできていたのかもしれません。
緩和ケアのチームの皆さんにはそんな私たち家族のサポートをして頂きました。
告知は大変辛いものですが、私ももしその時が来たら余命を知り残された時間を大切にしたいと思います。先生の記事を読んで改めて今日も一日元気で過ごせることは当たり前ではなく素晴らしいのだと思いました。
不安を抱えながらも、本当に幸せだったと書かれたリョウさん。素敵ですね。
>今日も一日元気で過ごせることは当たり前ではなく素晴らしいのだ・・
大切な人の死は、私たちに贈り物を残してくれます。
無意識に時を刻んでいた私たちに、いつか最期があることを教えてくれ、今を生きていることを実感させてくれます。
ここに、記事を読んで・・と加えてくださったこと、心から感謝します。ありがとうございました。