緩和ケア医の日々所感

日常の中でがんや疾病を生きることを考えていきたいなあと思っています

男社会で働く母

2006年05月07日 | 家族

7時前、まだ誰も起きてこないのでコーヒーを入れ、花水木に続いて咲いた雨に濡れるミントブッシュを眺めていた。

病院は幸い落ち着いている。連休の谷間に病状説明をしてきた方も大きな変化はないようだ。
家族には、それぞれ異なった感情があることを実感したのは、在米中アーバーホスピスでのデスカンファレンスだった。子供を自宅で看取った症例の中で、母、父の感情、兄弟の感情を整理し、医療スタッフがそれに対し何を行ったか解説があった。患児の身体ケア(意識はなかったので)と両親の心理支援の看護師と、兄弟に付き添う看護師とに分かれ、兄弟が別れの日に描いた絵を本人の許可の下カンファレンスに提示された。患児に親の時間と労力が注がれ兄弟は孤独や嫉妬の中、葛藤をしつつ惜別の思いを抱えていく。何故か、ミントブッシュを見ていてそのときのカンファレンスの光景が思い出された。

自分自身の出来事で生じた感情は、結構客観性を持って洞察することができる。しかしながら、子供の事はただただ感情の渦に飲み込まれてしまうことがある。かつて、子供が死ぬのではないかという危機的な状況に直面したことがあった。あの日のカンファレンスでの母の心情に少し届くようになった。そして、また父の心情が異なっていることも。

ここ数日間の出来事で意外なことに気がついた。夫は同年代の女性は私と同じような女性であると感じ、一方、私は男社会の中でもまれ続け、臆することに抵抗が無さ過ぎるのではないかということに。夫が「何故、他のお母さん達と声を挙げていかないのか」と言った事に対し、「男社会でもまれている私とは違うのよ。壁があってもそこにぶつかっていくのではなく、心配しつつそっと見守っているのが多分多くのお母さんたちなのよ」
置かれた環境、経験や記憶によって異なり、かつ論理より感情が先行するため、母の思いというのは、男性以上に多様性に富んでいるのだと思った。多様でありながら、共に話に耳を傾けあってくれた仲間に心から感謝している。働く母親というのは、職場、それぞれの子供の社会、友人など沢山の融合しない社会の中で自分のギアを変えながら生きていることを実感した。

濡れた花を見ていると心が落ち着く。
明日からまた、生と死の狭間での 症状緩和と心理支援の職場に戻っていく・・


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2 コメント

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子どもの死 (tanup)
2006-05-08 13:35:32
小学生で腎臓病で亡くなった従兄がいるのですが、普通に暮らしているように見えるその従兄の家族、残された両親と妹、が未だに35年前の死を引きずっていることを知ったりすると子どもの死というものは尋常ならざるものなのだと感じさせられます。心理的なケアの仕事は本当に大切で難しい仕事なのですね。
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子供の死は大変な喪の作業です (aruga)
2006-05-08 22:41:07
死別の悲しみは時が癒してくれるなんていいますが、決して癒してはくれないのだと思います。ただ、ただ、時の長さが希釈してくれただけで、その悲しみはけして消えることは無いのだと思います。
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