今月2月20日発売のドクターズ マガジンに
過日取材を受けたものが掲載されました。
私自身のことを記事にして頂くのは
ちょっと躊躇しましたが、
時代を支える女性医師というシリーズは、
つづく若手の女性医師への
エールでもありますという
出版元の民間医局の方の言葉から
お引き受けすることにしました。
ドクターズ マガジン
2014年3月号
著作権を思うと、
勝手に記事をここに載せることは
控えなくてはいけないので、
すみません。
再掲に加筆した、
最終回のご夫婦(4)をお送りします。
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別件で連絡を入れる機会がありました。
NHKの番組に出させて頂いたとき、
治療中の様子を話させて頂きたくて、
写真も、お名前も出すものではありませんでしたが、
やはり、ご了解を事前に頂きたく、お電話をしました。
亡くなられて6週後くらいの時期だったでしょうか。
グリーフワークサポートとしては
介入のタイミングでもありました。
このタイミングは、偶然で、
意図したわけではなかったのですが・・
「家主が亡くなるということは
予想を遥かに越えて大変なことでした。
ただ、寂しくないわけではないのですが
何か、ずっと傍に居てくれている様な感じで
守られているような・・」
そんな話をしてくださいました。
その人らしさ、
その方ならではの歩み方、
人のコアになるもの、
こうしたことは、外から
何らかの力が働いても、
変わらないものは
変わらないものであり、
変えられることはないものだと思います。
それを大切にすることが
尊重でもあり、
何ものにも
変えられることなく
人は生きてきたように生き、
生きてきたように逝く・・
前回、
そんなことを書きました。
奥様の話を聞いていて
患者さんであるご主人は
奥様の傍らで、亡くなった今も尚生き続けている・・
そう感じました。
複数回にわたって、ご紹介したこのご夫婦の話。
一番、お伝えしたかったのは、次の一文でした。
お付き合いくださり、心から感謝いたします。
人は、生きてきたように
人の心の中でも生き続けていくものだ・・
(シリーズおわり)
丁度、長くお付き合いしたお一人の患者さんとの別れを迎え、ご家族にとってそうだろうな、そうであって欲しいな、と願う思いでいます。
実は、6年前のこの記事にもコメントをしていました。自分のコメントを読んで恥ずかしくもあり、6年後の今、看護を続けている中で大切にしたいものは変わっていないんだなと再発見させていただきました。
患者さんが亡くなられたときに、
どんな経過をたどってこられたのか、ご家族と語り分かち合う時間を大切にしています。それが、先生の言葉をお借りすると、生きてきたように心に生き続ける、その姿や核になることが少しだけはっきりするように、というケアでもあるのかな、と感じさせていただきました。
…改めてのコメントに6年間の重みがなく、成長具合に少し疑問です(笑)
読み続けておりますので、今後ともよろしくお願いいたします!
ただ違うのは、タコヤキさんは、常勤であること。
私は、子供が10歳まで非常勤でした。
今でこそ短時間勤務があるのでしょうが、私達のころはなく、常勤である以上はまったく皆同じ勤務体系の中でデューティーをこなさなければいけませんでした。激しいアレルギーで保育園には預けられませんでしたし、外科医の夫では当直の調整も不可能でしたので、非常勤になるしかなかったのですが、一方で、気を使わないで済みました。
加えて、その一歩後ろに下がっていることが、自分とは何かという自問を繰り返し、その後、医師としてがんばろうというモチベーションに繋がりました。今から振り返っても、この時の沈んだ自分の存在は本当に大きかったと思います。
人生には色々な形があります。上手くいかないと感じたり、どこか我慢したり、犠牲になっている感があったり。でも、だからといって、向上心をすてることではないと思うのです。
近い将来の目標と、遠い先の夢をもって、歩んでください。応援しています。
私は緩和医療の医師ですが、小さい子供がいて短時間勤務をしています。遅く来て早く帰る、不在の曜日がある、土日は来院できない、という医師では緩和ケア病棟で主治医としての責任が果たせないと思い、結果宙ぶらりんな働き方をしています。
患者さんには医師の家庭の都合など全く関係なく、患者さんが医師に求めるレベルも重々わかっています。自分としても納得がいく程度まで関わりたいという気持ちもある、しかし育児の方でも譲れないラインがあり、どういう働き方をすればいいのか正直分からなくなっています。
上司の医師からは、常勤なのだからもう少し頑張ってもらいたい、と言われました。
しかし子供には喘息・多品目の食物アレルギー・アナフィラキシーの既往があり、子供が病気の時は自分が休んで看ないと安心できません。夫は理解はありますが、同業者であり、今までの経過からも直接的な世話についてはあまり頼りになりません。
家庭の状況の細かいことを言っても怒りを買うだけで、甘いと思われていると思います。
先輩の女性医師の先生方のほうが、はるかに苦労されてきたことと思います。
どう頑張ればいいのか分からなくなっている時に、偶然ドクターズマガジンで先生の記事を発見しました。
子供が大きくなるまでは仕事は低空飛行になってしまいますが、子育ての責任は親しか果たせませんので、それを果たせるようにするのが今の私の最優先事項かなと思っています。
5年先、10年先にどうしたいのかを考えながら、今を過ごして行こうと思います。
これからも、先生のブログにお邪魔させていただきます。長文失礼しました。
同居人さんは、いのちを生ききり、マーボーさんはそれを支えられたのですね。悲しまなくて良いよというメッセージは誰でも受け取れるものではないような気がしています。素敵ですね。そして、マーボーさんの心の中では生き続けているのですね。同じ人生を生きて死ぬなら、そんなのがいいなあ・・羨ましいなあって思います。
ずっと一緒にいる気持ち・・・まさにそうです。
姿は見えないけれど、いつもそばにいる感じです。
生きていた時と全く同じ様に、心の中にいるのです。
でもまだ時々泣いちゃうんですけどね・・・新米の未亡人なんで・・・
変わらない存在としてこころの中にいる…
私は幸いにも、
日々とても近くにいる人を亡くしたことがありません。
患者さんという、違う出会い方の人々を
見送るから感じるのか、
家族のような存在でもそう思えるのか、
自分の感覚に不安を覚えることがあります。
でも、
「ずっと傍にいてくれるような感じ」
ちゃんとあるんですね。
そこまで一緒に生きてきたプロセスがあっての
言葉なのだろうな…
そして、
「命の長さと 何かができる長さは 異なること」
この言葉がとても心に残りました。
いろいろなことを伝える言葉のように思えます。
いつか、どこかでお借りしようと思います。