人生に最期は平等に必ず訪れる・・
ならば、病気が治るということに人生の目標をおいたとすると
死はすべて敗北になってしまう・・
では、何を目標にすればよいのか・・
+++++++++++++++++++ 外科で研修をし 以前に書いたことがある膵臓がんの患者さん がんが治ったかどうか・・が最終目標ではなく まるで、迷いの中から よい人生でした・・
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渡米後、遺伝子治療の研究室に在籍しつつ
並行して在宅緩和ケアの研修をしながら
このことを、ずっと考えていました。
帰国して、緩和ケア病棟にいるときも考え続けていました。
唐突に
「何故、私にはがんが治ったという奇跡が起こらないのでしょうか」
という難しい質問をもらったとき
封印していた踊りのことが
急に意識の中に浮上してきました。
靭帯を切って15年ほど経ったときのことでした。
そして、コーラスラインの歌を思い出していました。
人生幸せだったと感じられることが大切・・
そんな話をしたとき、その患者さんは
幸せな自分を自ら感じ取られ
これでいいんですねと自分で答えを出され
微笑みながら最期を迎えられました。
一人で立ちあがることができ、
微笑みながら歩んでいらっしゃったような感じでした。
そうおっしゃった方々
心が自立しているような印象でした。
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お医者さんからは体中が痛くて仕方ないだろうと言われましたが、弱音をはく事も無く’囀りを 浴びてこのまま 眠りたし’と言う句を残して、幸せな一生だったと言って静かに去っていきました。
いろいろな患者さんの最期を見ていて,死に様は生き様,自分の毎日を振り返っています.
囀り(さえずり)を 浴びてこのまま 眠りたし
あびるという音に、何か強くさらされている様な、包み込まれるような印象を受けます。壮絶でありながら平和と尊厳に満ちた最期だったのでしょうか。人として羨ましいなあと思いました。
fiorentino先生
本当にそうですね。おっしゃるとおりだと思います。がんに限っては、治るの対側には死という構図ができている場合が多く、それがサポートを難しくしているようにも思えます。