昨日、聖路加国際病院に行ったとき・・いつもは、がんセンター前の築地から歩くのですが有楽町線の新富町でおりました。
駅から地上に出てふとみると・・・一段低くなったところに公園がありバスケットゴールが3つありました。(バスケットゴール情報はココです)
ドリブルの音などが苦情の原因になるそうでアウトサイドでのバスケットゴールは中々出会えません。
それどころか、日本バスケットボール協会は混乱し続けて . . . 本文を読む
12月1日から3回シリーズで放送されていたNHKのドラマ。「ひとがた流し」最終回、軽い気持ちでつけたTVに引き込まれていきました。
ストーリーはこちら・・・学生時代の同級生。40代になって、シングルマザー、問題を抱えた普通の家庭、独身アナウンサーの3人の絆の中で、アナウンサーの千波に乳がんがわかり、仕事と治療との葛藤、再発、手術後のボディーイメージの変化と恋愛、そして死。
40代・・子供も自立 . . . 本文を読む
ウィルス検査で確実な方法はウィルスのそのものの核にある核酸を見る検査です。このウィルスの核酸を検出する方法を用いているのがB,C型肝炎とHIVになります。
それに対して、抗体を調べる検査方法があります。人にウィルスが感染すると免疫応答により抗体が産生されます。かつて、ウィルスが体内に入ってきたことがこの抗体検査でわかります。かならずしもウィルスがいるとは限りません。逆に、感染しても抗体はすぐ . . . 本文を読む
血液製剤による肝炎問題。収束の方向に進みますように。
ニュースを見ながら、気になっていました。皆さんは、この問題を過去のこととして捉えていないでしょうか。
現在の血液製剤はB,C型肝炎、HIVはウイルスチェックを受けています。しかし・・・・数%これをすり抜けるものがあります。
また、ウイルスは、これだけではありません。成人T細胞白血病、エボラ、デング熱、ヘルペス、麻疹・・・これらの混入はチェ . . . 本文を読む
生活不活発病知りませんでした。こんな言葉があるなんて・・一応・・医療者なんですけど・・・
どうやら、廃用症候群の別名らしい・・です。
日頃の生活が不活発になると心身機能が低下して筋萎縮、関節拘縮、褥そう、骨粗鬆症、起立性低血圧、精神的諸問題などなど来たしてしまう事をさしていました。高齢者の寝たきり予防などに用いられる言葉です。
生活不活発病(症)なんていうとついゴロゴロして寝坊してしまうこと . . . 本文を読む
緩和ケア外来に初めていらした頃も再診の依頼があった頃も悪くならないように細心の注意を払われていました。とても大切なことではありましたがいつも緊張状態でした。ですから、怒りも焦りもありました。
今回、症状緩和を試み週1回外来に通院される中衰弱は進んでいきました。ステロイドを増量し、何度となくもうだめかと思いながらも2ヶ月間ねばり続けることができました。さすがに、外来通院はここまでと感じ在宅訪問医と . . . 本文を読む
この患者さんは大変有名な外科医に手術をしてもらっていました。ただ、その医師は教授で多忙であったため外来の診察は、説明を殆ど受けることができず若手の医師が代行するのですがお伺いを立てることなくかってな説明はできないと明確な答えをもらえず、ただ「教授にドンとお任せしていればいいんですよ」と言われたと話されました。
加えて化学療法中に大変な苦痛を味わったためもはや、緩和ケアでよいと思われ当院の緩和ケア . . . 本文を読む
在宅で過ごされながら、治療をなさっていた方治療主科と在宅医も診療をしておりましたがイライラ感が強くなり調整の依頼が緩和ケア外来にありました。
問題点は3つ疼痛、嘔気・嘔吐、落ち着きのなさでした。
嘔気・嘔吐は、便秘と高カルシウム血症が原因でした。落ち着きの無さは、制吐剤の副作用でした。(アカシジアです)一旦オピオイドを貼付剤にし緩下剤は・・いつもの2本立ての増量ステロイドに鎮痛時補助薬兼イライ . . . 本文を読む
偶々付けたTV見入ってしまいました。
リサ ランドール、45歳の物理学者でハーバード教授素粒子を観察すると消えていくものが存在するのだそうです。加えて、アインシュタインの理論で矛盾が出ていた磁力と重力が等しくないという点。彼女が1999年に報告した5次元理論これを使うと今まで説明がつかなかったものが説明できるようでした。
我々の世界の3次元と時間軸の4次元5次元の世界はこの3次元と膜を隔てて存 . . . 本文を読む
私のこの大学病院の4年間は私の成長に、かけがえのない時間でした。戦場のようながん治療現場を知ることが出来き緩和ケアコンサルテーションの立ち上げ方法コンサルテーションにおける除痛指導のノウハウ多職種のコーディネート事務との付き合い方地域医療機関との連携方法自分のギアチェンジトレーニング ・ ・数々の学びの場でした。ですから、抄録でどのように書かれていても大したことではないことに気づきました。誰が何を . . . 本文を読む
あなたと出会えたから緩和ケアに興味を持ち続けることができた・・そう言ってもらえた様な気がしました。そう思えたとき思い出すことが出来ました。
現在の病院に移ってきて前任地で、3年かかったことが3ヶ月で目標達成できたことを・・“コンサルテーションが来るときその8割程度は鎮痛補助薬を一から説明しなくても理解できる”前任地では、これに3年かかり今の病院では3ヶ月で達成できました。研修医のスーパーロー . . . 本文を読む
偶然見つけた抄録「~当院では2003年8月に麻酔科医,薬剤師,看護師の3人の形から緩和ケアチームの前身が立ち上がり,~」1999年から2003年までのこの4年の苦労・・・2003年までは何もなかったかのようにそして、そこから自分達が始めたかのように書かれていたこの抄録をみて私のあの苦労は、水の泡の如く消し去られた・・・・そんな怒りに似た気持ちになりました。
この学会の時期はすでにお世話になった院 . . . 本文を読む
がん治療に力を注ぐ高度医療機関だからこそ緩和ケアに目を向けられることが我々にとっても、誇りになる医療につながるという気持ちでコンサルテーションにあたりました。でも、事務の無理解とは別に傍若無人な医師もおり、診療科間の壁も厚いものでした。
当時のこの大学病院で医療における横断的コンサルトを受けるシステムを作ることがどんなことであったか・・・私のつたない言葉で書いて伝わりきることはないだろうと思いま . . . 本文を読む
緩和ケアは標榜科でもなく大学に講座もなく当時は、がん診療拠点病院制度も始まっておらずさらに緩和ケア診療加算制度ができる前のことでした。そのころ、緩和ケアというと終末期医療であり一次医療でした。高次医療を目指すその大学病院にとって緩和ケアを行うというのは成り下がることでありしかも、お金にならないと一部・・特に事務方に言われました。(元)院長が、人に優しい医療を目指すためにも緩和ケアを導入する目的で私 . . . 本文を読む