私のこの大学病院の4年間は
私の成長に、かけがえのない時間でした。
戦場のようながん治療現場を知ることが出来き
緩和ケアコンサルテーションの立ち上げ方法
コンサルテーションにおける除痛指導のノウハウ
多職種のコーディネート
事務との付き合い方
地域医療機関との連携方法
自分のギアチェンジトレーニング
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数々の学びの場でした。
ですから、抄録でどのように書かれていても
大したことではないことに気づきました。
誰が何をしたかというより
この緩和ケアから一番遠い大学病院といわれた病院で
緩和ケアに取り組むことが当たり前になったことが
とても、重要なことでした。
ただ、私は忘れないようにしようと強く感じました。
今、私達が緩和ケアを推進できているのは
その前の先輩医師の努力があったことを・・
電車の中での看護師さんとの再会は
稚拙な憤りを感謝に変えてくれました。
(おわります)
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先生のその前の努力が全くないものとされていた事、素人の他人の私ですら悔しさを感じながら拝読しておりました。・・それでも先生なら恨み節でない展開があるだろうとも思いながら・・そして(8)で先生の真髄に出会い嬉しくなりました。
先生に救われた実際の患者さんは感謝し、実際に携わってきたスタッフの方々は確実に先生の今までの努力を現実にし、次に伝えていらっしゃる・・・それは先生が心血を注いでこられた結果=真実です。
そしてなんの記録にも残っていない私ですが先生と出会えた事、先生のこれまでの努力に心から感謝しています。
それにしても、医師と言う学力的にはとても偏差値の高い方々に、どうして新しい事を受け入れることにこれだけの労力を費やさなければならなかったのでしょう?
今も残る体質なのでしょうか?
ブログはありがたいものだと思いました。書き進めながら、なぜ、私は憤りを感じたのだろうか・・自分の気持ちを淡々と整理している自分がおりました。
私は、心底、この4年間の自分を認められていなかったのだろうと思いました。些細なことで心が揺らぐということは、そういうことだったと気がつくことができました。himawariさん、何時も支えてくださり、本当にありがとうございます。
緩和ケアへの当時の無理解は、医療経済が逼迫している中で、事務方はいかに収益を上げるかということに力を注がざる終えなかった現れの一つであろうと思います。医療崩壊の序盤だったのかもしれません。
春野ことり先生
言葉、本当に感謝です。
何とも弱いものだと思いました。心のどこかで、大変だった、認めて欲しいと叫んでいた自分がおりました。この4年間のお陰で沢山のものを得ることができ、今の自分があるのだと思っています。