先に行った京都文化博物館での「ハプスブルグ家」展ですが
その展示物のなかに日本製のものも何点か陳列してありました。
当時(18世紀)は日本は鎖国状態なので西欧とのつながりは
オランダ1国のみでしたが、江戸期以前にはポルトガルやイスパニア
などとの通商もあったしオランダを通じて日本の物品は
西欧に流れていたので、日本の優れた工芸品などは珍重されていたのでしょう。
ただこの当時の西欧の諸国の人々に「ジパング」の存在がどのくらい
浸透していたかは、現代の日本人がどれだけアフリカ諸国のことを
知っているか?と同等ぐらいのものかもしれません。小さな東洋の島国ですから。
さて陳列品で日本製のものをいくらか紹介してみましょう。
下の写真は漆塗りの「長持ち」です。まあ衣装箱・道具箱ですね。
富士山が描かれていてまさに日本製ですがマリアテレジア女帝はこれを
「インド製」と認識していたらしいです。
さらに下の写真はロココ調の曲線の足にのった箪笥です。これも漆塗りですね。
パンフレットの解説には日本で西欧貴族好みに作られた輸出品だと書かれてます。
オランダの東インド会社(貿易会社)を通じてハプスブルグ家に入ったのでしょうか。
さらに下の写真は肥前(佐賀県)の伊万里焼の宝石箱です。銀の枠は輸出後に
西欧で加工されたものらしいです。
他にも数点ありましたが、世界と国交のなかった当時においても日本の
優れた工芸品がヨーロッパの王家や貴族に愛用されていたことは
なんか嬉しいですね。
その展示物のなかに日本製のものも何点か陳列してありました。
当時(18世紀)は日本は鎖国状態なので西欧とのつながりは
オランダ1国のみでしたが、江戸期以前にはポルトガルやイスパニア
などとの通商もあったしオランダを通じて日本の物品は
西欧に流れていたので、日本の優れた工芸品などは珍重されていたのでしょう。
ただこの当時の西欧の諸国の人々に「ジパング」の存在がどのくらい
浸透していたかは、現代の日本人がどれだけアフリカ諸国のことを
知っているか?と同等ぐらいのものかもしれません。小さな東洋の島国ですから。
さて陳列品で日本製のものをいくらか紹介してみましょう。
下の写真は漆塗りの「長持ち」です。まあ衣装箱・道具箱ですね。
富士山が描かれていてまさに日本製ですがマリアテレジア女帝はこれを
「インド製」と認識していたらしいです。
さらに下の写真はロココ調の曲線の足にのった箪笥です。これも漆塗りですね。
パンフレットの解説には日本で西欧貴族好みに作られた輸出品だと書かれてます。
オランダの東インド会社(貿易会社)を通じてハプスブルグ家に入ったのでしょうか。
さらに下の写真は肥前(佐賀県)の伊万里焼の宝石箱です。銀の枠は輸出後に
西欧で加工されたものらしいです。
他にも数点ありましたが、世界と国交のなかった当時においても日本の
優れた工芸品がヨーロッパの王家や貴族に愛用されていたことは
なんか嬉しいですね。
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