京都には離宮が2つあります。元は八条宮家の別業である桂離宮と後水尾院造営の山荘、
修学院離宮です。どちらも前日以前に申し込めば誰でも無料で説明付70分コースの
参観ができます。一般に開かれた離宮です。
少しこの離宮について説明をいたします。まずは修学院という地名ですが、平安初期に
この地に建立されたお寺の名前です。南北朝期に廃絶して寺はなくなりましたが、
寺名が地名として残りました。
後水尾院はとりわけ比叡山に対する思いが深かったらしく、修学院の山荘にさきがけて
洛北の長谷、岩倉、幡枝などに比叡山を視野におさめる山荘の造営を手がけています。
修学院の地に山荘の造営を始めたのは後水尾院が御年60才の頃です。
この地には先に後水尾院の第一皇女である梅宮の円照寺があり、ここに行幸した院が
眺望や立地条件を気に入り、京都を離れたかった梅宮の意向とも一致して円照寺を
奈良に移転させて本格的に山荘の造営を行なうことになりました。造営にあたり
後水尾院は自ら粘土を練って模型をつくり設計を行なったそうです。
修学院離宮は下御茶屋・中御茶屋・上御茶屋と大きく3ゾーンに分かれています。
それぞれの御茶屋の間には田畑があります。これは造営当時からで山荘の敷地は当地の
百姓に開放されて四季の農耕の風景も山荘に取り込んだとされています。現在では
景観保護のために田畑を宮内庁が買い上げて、元の地主さんに実際に耕作してもらって
いるそうです。
下御茶屋から中御茶屋あたりの田畑。この道の先に林丘寺門跡があります。
冬は寂しい風景ですが、春の田植えから秋の稲刈りまでは離宮の一風景となります。
下を見下ろすとけっこう高いのがわかります。離宮の最も上の上御茶屋は海抜149mで
京都タワー(131m)より高いです。
修学院離宮の表総門。参観者の入り口です。まわりは大変静かな住宅と田畑で囲まれています。
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寺名が地名として残りました。
後水尾院はとりわけ比叡山に対する思いが深かったらしく、修学院の山荘にさきがけて
洛北の長谷、岩倉、幡枝などに比叡山を視野におさめる山荘の造営を手がけています。
修学院の地に山荘の造営を始めたのは後水尾院が御年60才の頃です。
この地には先に後水尾院の第一皇女である梅宮の円照寺があり、ここに行幸した院が
眺望や立地条件を気に入り、京都を離れたかった梅宮の意向とも一致して円照寺を
奈良に移転させて本格的に山荘の造営を行なうことになりました。造営にあたり
後水尾院は自ら粘土を練って模型をつくり設計を行なったそうです。
修学院離宮は下御茶屋・中御茶屋・上御茶屋と大きく3ゾーンに分かれています。
それぞれの御茶屋の間には田畑があります。これは造営当時からで山荘の敷地は当地の
百姓に開放されて四季の農耕の風景も山荘に取り込んだとされています。現在では
景観保護のために田畑を宮内庁が買い上げて、元の地主さんに実際に耕作してもらって
いるそうです。
下御茶屋から中御茶屋あたりの田畑。この道の先に林丘寺門跡があります。
冬は寂しい風景ですが、春の田植えから秋の稲刈りまでは離宮の一風景となります。
下を見下ろすとけっこう高いのがわかります。離宮の最も上の上御茶屋は海抜149mで
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