勝海舟が幕府のはじめて役に付くのが33歳、役職に就くのは37歳の軍艦操練所教授方頭取で当時としては随分と遅咲きです。人は役職に就くと自分の地位にこだわり保身に走って自分に地位に有益な人としか交流しなくなります。勝海舟の面白いところは、そこが自分の地位に不利というか害を及ぼすような人物でもこれと思うとあっていることです。それが後に難しい情勢の時の役に立っているのです。勝海舟が36歳の時、幕府軍艦咸臨丸に乗って薩摩藩山川に行ったとき薩摩藩主島津斉彬に会っています。これはある意味、幕臣が外様大名に会うと幕府から疑われ自分の地位に不利になることでもあります。勝海舟はそんなことは気にせず、これと思う人物には会うのです。
「斉彬公は、えらい人だつたよ。西郷を見抜て、庭番に用ゐたところなどは、なかなかえらい。おれを西郷に紹介した者は、公だゆ。それゆゑ、二十年も以後に、初めて西郷に会つた時に、西郷は既におれを信じて居たよ」(勝海舟「氷川清話」より)
江戸城無血開城の勝海舟と西郷隆盛との談判での信頼関係は会わずとも、すでにこのころから基礎が築かれていたのです。
「斉彬公は、えらい人だつたよ。西郷を見抜て、庭番に用ゐたところなどは、なかなかえらい。おれを西郷に紹介した者は、公だゆ。それゆゑ、二十年も以後に、初めて西郷に会つた時に、西郷は既におれを信じて居たよ」(勝海舟「氷川清話」より)
江戸城無血開城の勝海舟と西郷隆盛との談判での信頼関係は会わずとも、すでにこのころから基礎が築かれていたのです。