今年は明治維新から150年ということで関連本は書店に多く並んでいます。幕末明治に大変興味を持っている私としてはつい買ってしまいます。歴史の本を読むとき、歴史上の人物の偉人伝を読みがちになりますが、私はここ数年活動の関わりの中から知人を通して多くのことに気づかされました。薬害を始め関わっている社会問題にも歴史があり幕末維新に生きた人物とも関りがあるということです。幕末明治に生きた人物で社会問題に関わったと言えば田中正造がすぐ思いつきます。そう足尾鉱毒事件という日本で最初の公害事件を被害民の立場から奔走した人物です。ここまでは普通に思い出されますが、渋沢栄一もまた関連はあります。足尾鉱山の経営者である古川市兵衛は渋沢栄一から資本を提供されています。私が関わっている薬害問題では、薬害エイズ問題の被告企業は第二次世界大戦中、日本陸軍の731部隊という化学兵器製造に関わった人が創業しています。薬害エイズ訴訟に関わった弁護士はハンセン病国賠訴訟にも関わっていてハンセン病の問題で調べていくとハンセン病の隔離政策を主導した医師の光田健輔は渋沢栄一が東京養育院の医師に招いています。明治維新150年の歴史の中に自分の関わる問題が流れており、それが現代にもつながっている歴史を自分自身に問い直すことも大切だと感じています
どんな被害者支援組織の立ち上げてすぐには問題の社会の認知度も低く支援者を集めるには苦労します。今日は夕方に都内で3回目のHPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの例会を開きました。支援の輪を広げるために情報発信手段や具体的な行動について話し合いました。HPVワクチン被害の実態はまだまだ社会に知られていません。3月24日には海外の被害者を呼んで都内で国際シンポジウムを行います。被害実態を社会に伝えるべく活動を続けていきます。
今日は月一回渋沢史料館で行われている渋沢栄一「論語と算盤」読書会の日。今日の箇所は「理想と迷信」。ちょっとわかりにくい箇所でしたが、それだけに参加者同士で自由に話が多方面にとび面白かったです。現代は人工知能まで導入しようとしている時代で人間が機械に支配されようとしている時代で道徳がかき消されようとしている危惧さえありますが、このような時代に渋沢栄一だったらどうするだろうかと考えました。確かに時代の変化のスピードは現代と渋沢栄一の生きた時代は大きく違います。そこで渋沢栄一の生涯について考えてみました。渋沢栄一は1840年天保11年に生まれ1931年昭和6年に亡くなります。実に91年の生涯ー和暦で言うと天保→引化→嘉永→安政→万延→文久→元治→慶応→明治→大正→昭和です。その生涯は尊王攘夷運動で幕府を潰そうと思ったら一橋家に雇われその当主の慶喜が将軍となって幕臣となり幕府崩壊の時は幕府が派遣したパリ万博の随行員で欧州にいて帰国するといったんは静岡藩に在籍するも明治政府の役人となり実業界に入るため退職して銀行を設立、その後も500社の創業に関わり教育・医療・国際貢献の分野でも活躍します。自分一代でこれだけ変わり、しかし、若い頃から変わらないものがありました。それは論語です。スピード感は今と昔では大きく違いますが、目まぐるしく変わる人生の中で若い時から長年確乎たるものが論語でした。時代が目まぐるしく変わっても人間の真の部分が変わらなかったのです。渋沢栄一が目まぐるしく変わる現代に警鐘を鳴らしているかのようです。
今年は明治維新から150年。勝海舟を大尊敬する私にとっては感慨深い年でもあります。幕末維新だけが注目されますが、明治維新から150年、歴史は生き続けています。この150年の真ん中には先の戦争という悲惨な出来事もありました。技術革新が目覚ましく人間の命が救われ人間社会が豊かになる一方で明治からの政治は権力闘争を繰り返し経済もお金儲けに明け暮れ、命を救うどころかお金を優先させて命を奪う状況も出てきています。人間は過ちを繰り返してきました。強いものに目が行きがちな社会にあって、小さな弱い立場の人に目を向け社会に起きる様々な問題を当事者意識を持って活動し時代を継承し時代に生きていきたいと思います。
今度の日曜日は35回目の渋沢栄一記念王子がん哲学外来メディカルカフェです。がん患者さんを中心に様々な立場の人々とお茶を飲みながら分かち合います。それぞれの立場を認め合い分かち合うことによってお互いが気づきをもらいます。それががん哲学外来メディカルカフェです。どなたでも参加できます。ぜひご参加ください。
日時:2月25日(日)13:30~15:30
場所:北区NPOボランティアぷらざ・サロンコーナー(北区王子の北とぴあ4階)
参加費:500円
日時:2月25日(日)13:30~15:30
場所:北区NPOボランティアぷらざ・サロンコーナー(北区王子の北とぴあ4階)
参加費:500円