笑顔の江川

薬害エイズを考える山の手の会のご案内
薬害被害者、がん患者の支援活動
尊敬する勝海舟や田中正造のコメント

デンキ開けて世間暗夜となれりー田中正造

2018-11-20 20:33:21 | 日記
「物質上、人工人為の進歩のみを以てせば社会は暗黒なり。デンキ開けて世間暗夜となれり」(田中正造・大正2年7月21日)

医療を含めどの分野でも現代は技術の発展はすごいものがあります。しかし、人間の心はどうでしょう。技術の発展と反比例して人間の心は暗くなるばかりです。あまりにも技術に頼りすぎて身体だけでなく心までもが機械的・効率的に動きすぎています。それでは人間の真の心は読めません。人間の心があたかも盲目の状態です。一人ひとりの生の声に耳を傾け人間に心を向けましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりの参加ですがざっくばらんに対話する勝海舟記念浅草がん哲学外来

2018-11-19 21:24:26 | 日記
今日は久しぶりに勝海舟記念浅草下町がん哲学外来メディカルカフェに参加しました。薬剤師・看護師等の医療従事者にがん患者も様々でいろいろなことをざっくばらんに話し合いました。この雰囲気は下町浅草ならではで勝海舟を思い出すような雰囲気でした。来月の12月15日はいよいよ第9回勝海舟記念下町浅草がん哲学外来シンポジウムです。お題も「医療維新 21世紀を生きる!!生き抜く!!」です。21世紀の勝海舟は・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苦を糧に時代を切り開く女性ー矢嶋楫子・荻野吟子

2018-11-18 18:53:29 | 日記
幕末から明治にかけて注目される人物はどうしても西郷隆盛や大久保利通・木戸孝允に行きがちであるけれど、同じ時代に女性として苦労してその苦を糧にしながら激動の時代を切り開いてきた女性がいます。当時は男尊女卑の風潮の中、苦労しながらもその体験を活かして明治に教育者として活躍した矢嶋楫子、女医として活躍した荻野吟子です。二人とも幕末の時代に生まれ矢嶋梶子は熊本の武家の生まれ、荻野吟子は熊谷の大庄屋の生まれで結婚するも離縁します。当時のしきたりでは離縁することは大変なことで回りから蔑まれ行き場のない苦労をしますが、明治の世に入って矢嶋梶子は教育界に荻野吟子は医療界に、まだ女性は誰一人としていない業界に飛び込んでいきます。もちろんそこには幕末明治を生きた人物の引き立てもありましたが、自らの苦の体験をむしろ糧として、それぞれ教育界・医療界に活かしていきました。どんな時代にも苦は苦として体験しながらも、数少ない人の出会い支えをもらい時代を切り開く女性がいると本を読みながら感動しました。

矢嶋梶子を取り上げた小説:三浦綾子「われ弱ければ」
荻野吟子を取り上げた小説:渡辺淳一「花埋み」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一人ひとりが鍛錬の場でもあるメディカルカフェ

2018-11-17 19:03:00 | 日記
今日はお茶の水メディカルカフェにスタッフとして参加しました。参加者が60名くらいいるお茶の水のメディカルカフェは1テーブル6名くらいで10テーブルに分かれ1テーブルにファシリテーター役のスタッフが入ります。毎回参加者も同じメンバーではなく初参加の方もいます。どのテーブルに座るかは当日でないとわかりませんので、様々な人に対応することになります。スタッフだけでなく一般の参加者も同じでどんな人とカフェをするかわかりません。当日の雰囲気で対話も違ってきます。これがまたスタッフにとっても参加者にとっても対話の鍛錬の場になるわけです。そして対話を繰り返すことによって自らの置かれている立場に気づき自分自身の生き方の見直しにもつながってくるのです。メディカルカフェは患者さんの居場所であると同時に生き方を学ぶ場所でもあるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシアに目を向けていた榎本武揚

2018-11-16 19:27:11 | 日記
今、日ロの領土問題が日ロ首脳同士で話し合われています。江戸から明治にかけてロシアに目を向けていた幕臣がいました。その人物こそ榎本武揚です。若い頃には幕府の北方警備のため蝦夷地巡視に同行し、戊辰戦争では最期まで幕府方として五稜郭で新政府軍と戦い、降伏して一時投獄されるも幕府海軍やオランダ留学など経験してその才能を認められ新政府に出仕すると北海道開拓使となり初代ロシア公使としてサンクトペテルブルクで樺太・千島交換条約の交渉をしました。正に北方領土問題の交渉は榎本武揚が行いました。自らその地に足を踏み入れ地元の土を肌で感じるからこそその土地を理解して交渉が出来るものだと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする