笑顔の江川

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尊敬する勝海舟や田中正造のコメント

公害問題の原点と言われる足尾鉱毒事件に物申す勝海舟と田中正造

2020-10-04 16:22:34 | 日記
公害問題の原点と言われる足尾鉱毒事件の問題解決に奔走していた田中正造は明治30年頃赤坂氷川の勝海舟邸に足を運んでいました。勝海舟は風水害を含め国民の災害については深い関心を寄せていて自らも日光詣で足尾鉱毒事件についても関心を寄せていました。新聞の論壇にも足尾鉱毒事件はすぐに鉱山停止をするべきだと投稿していました。当時、足尾鉱毒事件を所管する農商務省大臣は旧幕臣で勝海舟と幕府海軍で共にしていた榎本武揚で国会での田中正造の質問や国民の声から政府に足尾鉱毒事件調査委員会が立ち上がりました。委員には勝海舟と親しい農学者の津田仙や勝海舟の娘婿で大蔵省主税局長の目加田種太郎も入っていました。勝海舟は苦しんでいる被害民の為に奔走する田中正造に百年後の総理大臣と証文を書きました。苦しんでいる民を第一に問題の起きている現場を第一に考える勝海舟の視点が田中正造の行動に共感した場面でした。
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最後の大奥を取り仕切った天璋院篤姫ーその天命

2020-10-03 22:56:19 | 日記
徳川幕府13代将軍家定の正室篤姫は、薩摩藩島津家分家の家に生まれ本家の養子に入り公家近衛家の養子に入ってから徳川将軍家に輿入れしました。時は幕末、実家の薩摩藩が倒幕の軍が江戸城に迫り大奥を取り仕切る天璋院篤姫は徳川家存続のために奔走しました。夫である将軍家定に先立たれ14代将軍家茂も早死にして15代将軍慶喜は謹慎。自らが最後の大奥を整理して徳川家を存続させました。その後、明治に入り16代の徳川家を相続した家達の養育をしました。正に徳川家の心を引き継いだ天璋院篤姫の天命でした。
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改革は公平にー勝海舟

2020-10-02 21:21:40 | 日記
「行政改革といふことは、よく気を付けないと弱い者いじめになるよ。おれの知つている小役人の中にも、これまでずいぶんひどい目に遭つたものもある。全体、改革とうふことは、公平でなくてはいけない。そして大きい者から始めて、小さいものを後にするがよいよ。言ひ換へれば、改革者が一番に自分を改革するのさ。松平越中守が、田沼時代の弊政を改革したのも、実践躬行をやつて、下の者を率ゐてゐたから、あの通りうまく出来たのさ」(勝海舟「氷川清話」より)

松平越中守とは老中松平定信のことです。歴史に詳しい勝海舟は明治政府の改革に松平定信の寛政の改革を例にとり苦言を呈しました。さて今の政権はどうでしょう。権力を振りかざし自分の都合の悪いものはバサバサと切り捨てていくやり方に勝海舟だったら・・・今正に勝海舟の出番ですね。
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死生の境ー高橋是清

2020-10-01 21:43:52 | 日記
考へてみると、私は、実に、いろいろな道を通つて来た。私の運命は、生れ落ちるときから尋常ではなかつたといへる。
高橋是清ー随想録ーより

ペルー銀山で生死をさ迷いアメリカで人身売買で身を売られそうになりダルマ宰相高橋是清は七転八起の人生でした。しかし、その経験が昭和金融恐慌を乗り越えられたのでしょう。人それぞれに様々な経験があり、それを活かすのは本人自身であり、また、誰のためにするのかも本人自身です。
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