私にとって気になる良質な本を数多く出版している藤原書店が月刊「機」という小冊子(32頁)を発行しています。今年の8月号に掲載されていた「連載・『ル・モンド』から世界を読む」(加藤晴久)に目が釘付けになりました。大江健三郎の『芽むしり仔撃ち』がル・モンド紙に取り上げられたというのです。
『芽むしり仔撃ち』はこのブログ〔285〕でも紹介しましたが、Kさんを囲む読書会でこの夏取り上げたばかりでした。コロナ禍の今、疫病と対峙する『芽むしり仔撃ち』は今こそ読まれてほしいという趣旨の読者会報告でした。くしくも同趣旨の新聞記事がフランスの有力紙に載ったというのです。
こんな書き出しです。
五月二四/二五日付『ル・モンド』に
「文学はカタストロフイを和らげようと
する言説の逆を突く」というタイトルの
寄稿文が載っていた。筆者は作家のミカ
エル・フエリエ(一九六七年生まれ)。 一
九九二年以来東京在住。中央大学フラン
ス文学科教授である。
『芽むしり仔撃ち』は大江健二郎初の
長編小説で一九五八年刊。仏訳は一九九
六年刊(ノーベル賞受賞後)。
フェリエ氏は、この作品が今日のコロ
ナ禍の世界の現実を鋭く照射し、それヘ
の対処の虚妄を暴いているとして、内容
を紹介しつつ解読しているのである。
『芽むしり仔撃ち』の内容についてはブログを読んでください。
さらに加藤氏は次のようにフェリエ氏の論考を紹介しています。まさに我が意を得たコラムでした。
大江は「疫病に対する反応は〔国民性
などという虚構でなく〕社会のさまざまな
仕組みと人々の考え方とをどのようにコ
ントロールするかに深く関わつているこ
とを示した」
「本物の文学は、カタストロフイを和
らげようとする、あるいは艶やかに描き
出そうとする、叙情的あるいは鎮静剤的
な言説の逆を突く。こうした言説はまた、
カタストロフィのもたらす様々な結果と
変化と課題を考えることを妨げるのであ
る」
身近なところにあるすぐれた作品の存
在を外国の作家が教えてくれている。
◆ 改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ
鎌田 慧(ルポライター)
首相に就任するやいなや、いきなり日本学術会議を敵に回して人事に介
入、会員候補6人の学者の任命を拒否した。菅新首相の蛮行、敵基地攻撃
能力保持の欲望とセット、安倍前首相の申し送りの忠実な継承なのか。
それとも、まず最初に懲罰的な人事を強行して異論を唱える者は排除す
るぞ、との見せしめ政治の初発の行使なのか。それにしてもやることが姑
息だ。
これからの日本をどうするのか。コロナ禍を乗り切り、健康で文化的な
最低限度の生活をどのように保障するのか。
集会、出版、言論、学問の自由を保障する民主主義の国を皆さんと手を
繋いで確立させましょう、と語りかけてほしかった。
ところが、悪名高いアベ政治を継承するどころかさらにひどい、公然た
る言論・学問の自由抑圧をして出発。それが所信表明代わりとは、蓋(けだ)
し日本憲政史上初めてか。
戦争のための学問を拒否する、日本学術会議への挑戦から菅内閣がはじ
まったのは悲しむべきことだ。もうひとつの悲しさは、首相補佐官に就く
と報じられていた通信社の論説副委員長が、この憲法違反ともいえる暴政
を押しとどめることができなかったことだ。
この耳にするだけでも恥ずかしい学問の自由の抹殺は、世論によって修
正されるだろう。その前に新首相補佐官は、職を賭してでも任命拒否を解
除させてほしい。
(10月6日東京新聞朝刊23面「本音のコラム」より)
『芽むしり仔撃ち』はこのブログ〔285〕でも紹介しましたが、Kさんを囲む読書会でこの夏取り上げたばかりでした。コロナ禍の今、疫病と対峙する『芽むしり仔撃ち』は今こそ読まれてほしいという趣旨の読者会報告でした。くしくも同趣旨の新聞記事がフランスの有力紙に載ったというのです。
こんな書き出しです。
五月二四/二五日付『ル・モンド』に
「文学はカタストロフイを和らげようと
する言説の逆を突く」というタイトルの
寄稿文が載っていた。筆者は作家のミカ
エル・フエリエ(一九六七年生まれ)。 一
九九二年以来東京在住。中央大学フラン
ス文学科教授である。
『芽むしり仔撃ち』は大江健二郎初の
長編小説で一九五八年刊。仏訳は一九九
六年刊(ノーベル賞受賞後)。
フェリエ氏は、この作品が今日のコロ
ナ禍の世界の現実を鋭く照射し、それヘ
の対処の虚妄を暴いているとして、内容
を紹介しつつ解読しているのである。
『芽むしり仔撃ち』の内容についてはブログを読んでください。
さらに加藤氏は次のようにフェリエ氏の論考を紹介しています。まさに我が意を得たコラムでした。
大江は「疫病に対する反応は〔国民性
などという虚構でなく〕社会のさまざまな
仕組みと人々の考え方とをどのようにコ
ントロールするかに深く関わつているこ
とを示した」
「本物の文学は、カタストロフイを和
らげようとする、あるいは艶やかに描き
出そうとする、叙情的あるいは鎮静剤的
な言説の逆を突く。こうした言説はまた、
カタストロフィのもたらす様々な結果と
変化と課題を考えることを妨げるのであ
る」
身近なところにあるすぐれた作品の存
在を外国の作家が教えてくれている。
◆ 改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ
鎌田 慧(ルポライター)
首相に就任するやいなや、いきなり日本学術会議を敵に回して人事に介
入、会員候補6人の学者の任命を拒否した。菅新首相の蛮行、敵基地攻撃
能力保持の欲望とセット、安倍前首相の申し送りの忠実な継承なのか。
それとも、まず最初に懲罰的な人事を強行して異論を唱える者は排除す
るぞ、との見せしめ政治の初発の行使なのか。それにしてもやることが姑
息だ。
これからの日本をどうするのか。コロナ禍を乗り切り、健康で文化的な
最低限度の生活をどのように保障するのか。
集会、出版、言論、学問の自由を保障する民主主義の国を皆さんと手を
繋いで確立させましょう、と語りかけてほしかった。
ところが、悪名高いアベ政治を継承するどころかさらにひどい、公然た
る言論・学問の自由抑圧をして出発。それが所信表明代わりとは、蓋(けだ)
し日本憲政史上初めてか。
戦争のための学問を拒否する、日本学術会議への挑戦から菅内閣がはじ
まったのは悲しむべきことだ。もうひとつの悲しさは、首相補佐官に就く
と報じられていた通信社の論説副委員長が、この憲法違反ともいえる暴政
を押しとどめることができなかったことだ。
この耳にするだけでも恥ずかしい学問の自由の抹殺は、世論によって修
正されるだろう。その前に新首相補佐官は、職を賭してでも任命拒否を解
除させてほしい。
(10月6日東京新聞朝刊23面「本音のコラム」より)