後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔511〕「皆さまの協賛金で完成することができた映画を、若い人たちが瀬戸内市の市民の皆さんに観てほしいと動き出したニュースです。」(矢部顕さん)

2022年10月27日 | メール・便り・ミニコミ
◆福田三津夫様

皆さまの協賛金で完成することができた映画を、若い人たちが瀬戸内市の市民の皆さんに
観てほしいと動き出したニュースです。

10月1日の朝日新聞岡山県版を添付します。


邑久高校の地域学を学ぶ生徒たち(いくつかのテーマのうちの一つのグループ)がドキュメンタリー映画を瀬戸内市中央公民館で市民のみなさんに観ていただきたく上映会を計画しています。その記事です。
小生は、5年前から邑久高校の地域学の講師をしています。
地域学が始まる以前は、かつて邑久高校の分校(新良田教室と言いました)が長島愛生園にあったということを、ほとんどの教師も生徒も知りませんでした。
教科書があるわけではない地域学は、教師も生徒も一緒になって学ばざるを得ませんから、新しい発見が次々に起こります。教科書での勉強は「強いられた勉め」ですが、地域学は「問うて学ぶ」「学んで問う」文字通り学問の始まりです。
地域から学ぶことによって、地域の価値を発見し、地域に貢献できる人材の育成に役立つことでしょう。
その生徒たちは、「隔離の歴史」を学ぶだけでなく、映画の上映運動として行動をはじめました。

朝日新聞を見ての、新良田教室を卒業した作家の伊波敏男さんのメッセージが下記の文章です。

■朝日新聞2022年10月1日岡山県版 
「邑久高生、ドキュメンタリー12月上映企画」の記事を見て

素晴らしい朗報に感謝。
固有名詞にはフルネームがあります。あなたの母校は?と、他者から問われたとき、1987年に32年間の歴史を持つ、岡山県立邑久高等学校新良田教室卒業生、の307人は、一瞬、口ごもり、一度もその校門をくぐったことがない、邑久高等学校と答えるのが、生きる術のひとつでした。
「邑久高校」は王の冠に等しく、「新良田教室」は、心の灯として、多くの卒業生にとって、秘められた宝でした。
それは、新良田教室閉校記念誌で、卒業生名と写真の顔を消してしまったことで、その証として残りました。
しかし、母校本校の後輩たちが、その消された歴史に、生命を吹き込んでくれようとしています。
邑久高等学校本校の後輩へ。ありがとう。
そして、記録映像と記憶を歴史に残してくれた宮崎賢さん。ありがとう。
                                                    伊波敏男

 伊波敏男さんのプロフィールも添付します。

◆伊波敏男氏プロフィール
 1943(昭和18)年、沖縄県生まれ。作家。人権教育家。長野大学客員教授。NPO法人クリオン虹の基金理事長。ハンセン病療養施設「沖縄愛楽園」、鹿児島県の国立療養所「星塚敬愛園」を経て、1961(昭和36)年、岡山県の「県立邑久高等学校新良田教室」に入学。その後、東京の中央労働学院で学び、社会福祉法人東京コロニーに入所。1993(平成5)年より約3年間、東京コロニーおよび社団法人ゼンコロ常務理事を務める。1997(平成9)年、自らの半生の記『花に逢はん』(NHK出版)を上梓、同年12月、第18回沖縄タイムス出版文化賞を受賞。2004(平成16)年より、長野県上田市で信州沖縄塾を主宰し、塾長となる。2007(平成19)年11月、伊波基金日本委員会を創設。

                                      矢部顕