70年代の後半に埼玉県狭山市に引っ越しました。新規入居した狭山台ハイツは狭山事件現場に囲まれた地点に位置していました。石川一雄さんの家、犯人を取り逃がしたお茶畑、被害者が殺害された畑にとり囲まれたようなところでした。
月に1回ぐらいだったでしょうか、狭山事件の現地見学会が開かれ、参加しました。石川さんは間違いなく無罪だなと確信したのは、石川さんの小さな家に入ったときでした。警察が3度目の捜索で、入口すぐの鴨居の上から、脅迫状を書くのに使われた万年筆が発見されたというのです。
鴨居は小学生でも手が届く低いところでした。捜査の専門家の刑事が見逃すはずはありません。しかも脅迫状のインクの色と違っていました。脅迫状は、ほとんど学校に通っていなかった石川さんに書けるはずがありません。稚拙を装った比較的学識の高い者の仕業と思われます。
袴田さんに続いて、石川さんの再審無罪を勝ち取りたいものです。
最後に、くまもと「狭山事件」を考える住民の会の学習資料と、「止めろ!東電福島放射能汚染水海洋投棄!!」のパンフレットを紹介します。