後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔514〕吉田隆さんのイロハネットNo-353号「文化の日意義と明治の日へ改変狙う動き」を読んでください。

2022年10月30日 | メール・便り・ミニコミ
 吉田隆さんからイロハネットNo-353号が送られてきました。地の文だけですが読んでみてください。大事なことが書かれています。

◆皆様

イロハネットNo-353号をお送りいたします。

11月3日は文化の日ですね。ところが、今年の4月7日、自民党有志による「明治の日を実現するための議員連盟」は、超党派議連に切り替え、新たな議員連盟の設立総会を衆議院議員会館で開いたのです。そして、なんと自民党、立憲民主党、日本維新の会、国民民主党4党などの議員計92人が入会し、会長に古屋が就任したとのことです。

維新や国民民主はわかりますが、立憲民主の議員も入っており、びっくりです。戦前の天長節―明治天皇の誕生日を尊崇しようというのです。安倍国葬を事実上撃退したと思いきや、新たな妖怪が現れたようなものです。

これは単に祝日名が変るとかの問題ではありません。日本の戦後史を塗りかえる暴挙というほかありません。
現行の憲法誕生日は無視し、明治憲法を復活させるようなものです。
こんな時代錯誤の方針がまかり通ることは絶対許せません。

11月3日の文化の日に国会周辺に大挙押しかけ、岸田の大軍拡、壊憲策動に鉄槌をくらわせたいものです。
                                                     𠮷田 隆

▼文化の日意義と明治の日へ改変狙う動き

11月3日は、1946年(昭和21年)に日本国憲法が公布された日であり、日本国憲法が平和と文化を重視していることから、1948年に公布・施行された祝日法で「文化の日」と定められた。

1948年(昭和23年)6月18日の参議院文化委員会において、山本勇三は「憲法において、如何なる國もまだやつたことのない戰爭放棄ということを宣言した重大な日でありまして、日本としては、この日は忘れ難い日なので、是非ともこの日は残したい。そうして戰爭放棄をしたということは、全く軍國主義でなくなり、又本当に平和を愛する建前から、あの宣言をしておるのでありますから、この日をそういう意味で、『自由と平和を愛し、文化をすすめる。』そういう『文化の日』ということに我々は決めたわけなのです」と説明している。

▼明治の日を実現するための議員連盟の設立と復古への動き

ところが、この意義深い日に対し、近年、明治天皇の誕生日へと由来を戻し「明治の日」への改称を目指す動きが顕在化している。

2011年10月1日、「明治の日推進協議会」が結成され、集会のチラシがただち全国会議員へ配布された。初代会長には元民社党衆議院議員の塚本三郎が就任した。2016年11月1日、明治の日推進協議会は国会内で集会を開き、祝日法改正を目指すための超党派の議員連盟設立を与野党議員に要請した。集会には自民党の稲田朋美、古屋圭司、民進党(当時)の鷲尾英一郎、無所属の野間健ら国会議員13人が出席、自民党議員は古屋を会長とする「明治の日を実現するための議員連盟」を設立した。

〔513〕『統一教会-銃撃・北朝鮮・自民党』(立憲フォーラムブックレット)は安価でわかりやすい読み物です。

2022年10月30日 | 図書案内
 今年の7月8日、山上徹也容疑者による安倍晋三元総理銃撃事件は私たちに衝撃を与えました。同情票が作用したのか数日後の選挙では自民党が大勝、その後岸田首相は国民の大半の反対を押し切って9月27日、国葬を実施しました。
  霊感商法などを行ってきた反社会的集団といわれる旧統一教会が今日まで存続してきた背景、「安倍家3代」との繋がり、そもそも統一教会とはどのように成立してきたのかなどの疑問にわかりやすく答えてくれるブックレットが出版されました。





 下掲の立憲フォーラムに連絡すれば、10冊以上は送料無料で送ってくれます。(振り込み料のみ) ちなみに私は20冊送ってもらって、仲間と読み合おうと思っています。〔氏名、電話番号、住所、メールアドレス、冊数〕明記。

◆『統一教会-銃撃・北朝鮮・自民党』(立憲フォーラムブックレット)
 2022年9月発行、頒価100円
編集・発行 立憲フォーラム URL https://www.rikken96.com/ 

〔512〕後期ゴシック彫刻を歩く① 喉から手が出るほど望んでいたファイト・シュトースの大冊・写真集を旅行中にいただきました。

2022年10月30日 | 美術館・博物館鑑賞
 47日間のドイツ・オーストリア中心の旅行の報告を何から始めようか考えていましたが、やはりファイト・シュトースの写真集をいただいたことと、その本によってその後の旅行行程が変わってしまったということを書かなければなりません。
 ファイト・シュトースはご存じの人も多いと思いますが、ティルマン・リーメンシュナイダーのライバルとして高名で、常にこの二人は対比して取り上げられます。私たちが後期ゴシック彫刻のバイブルにしていたイギリスのマイケル・バクサンドールの著書の題名が『彫刻家の芸術-ティルマン・リーメンシュナイダー、ファイト・シュトースと同時代の作家たち』です。私たちの共著も『結・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーからシュトース』という題名にして、リーメンシュナイダーとシュトースを彫刻家の代表格にしました。バクサンドールの本についてはこの本の109ページに取り上げました。
 シュトースの作品は福田緑写真集Ⅲ巻に2作品、Ⅳ巻にも2作品、そして最新Ⅴ巻には祭壇画も含めて4作品、さらに「大罪を犯した巨匠」として福田緑が紹介しています。

 日本ではシュトースについての単著はありませんが、ネットで調べたところドイツでは多くの写真集や評論集が発行されています。ただあまりに古い本でありながら高額になってしまうので今まで購入を見送ってきました。
 ところが、今回の旅の中で予期せぬことが起こりました。ドイツの臍とも呼ばれるアイゼナッハにエルケさんを訪ねたのはお連れ合いのウヴェさんのお墓参りをすることが目的の1つでした。その後彼女の新居に招待されました。9月19日(月)のことでした。
 エルケさんは世界遺産ヴァルトブルク城で来訪者を案内する仕事をしていました。そこで緑と出会うことになりました。リーメンシュナイダーの作品を撮影するためにエルケさんが便宜を図ってくれて、係の人・ミヒャエルがガラスケースから取り出してくれたのです。それ以来交流が続いているのです。

 お茶を飲みながら話をしていたら彼女がおもむろにファイト・シュトースの写真集を私に差し出したのです。私がしばしばネットで見ていた本でした。

◆『ファイト・シュトース』(Gottfried Sello 文 Albert Hirmer写真、32×27㎝、前半文章39ページ、後半写真179ページ、1988年)
 私が興味深げにページを繰っていると、彼女は本をくださるというのです。「古い本ですけど…」というのですが、とても綺麗な本でした。
 内容を見てびっくりしました。シュトースの作品が網羅されているではありませんか。緑の写真集の掲載作品はもちろんすべて、今回写真集に苦労して掲載した祭壇画も未掲載の版画も掲載されていました。そしてなにより、シュトースの最高傑作といわれているクラクフのマリア祭壇(Ⅴ巻に掲載努力をしたのですが教会と連絡がとれませんでした)の細部まで実に鮮明に撮影されているのです。個性豊かな人物が彫り込まれていてその力量を改めて認めないわけにはいきませんでした。ここはリーメンシュナイダーとの対比を田川建三さんに伺いたいところです。私は1度、緑は2度クラクフに足を運んでいるのですが、教会内が薄暗かったり祭壇が遠かったりではっきりとは見えませんでした。

 さらに磔刑像が5点網羅されていました。クラクフのマリア教会、ニュルンベルクのゲルマン博物館、聖ロレンツ教会、聖ゼバルドス教会、ブルクカペレとどれも個性的です。マリア教会と聖ロレンツ教会の作品が秀逸です。

 この本の「出現」によって旅行の行程が若干変化しました。

 9月22日(木)、私たちは世界遺産の都市バンベルクにいました。
 最新写真集第Ⅴ巻の表紙は念願叶ってリーメンシュナイダーの代表作「皇帝ハインリッヒⅡ世と皇妃クニグンデの石棺彫刻」を掲載することを許されました。さらにリーメンシュナイダーと工房作「いわゆるリーメンシュナイダー祭壇」、シュトースの「マリア祭壇」なども同時掲載許可をいただきました。
 しかし、今回最も期待していたのが初めてのドーム博物館見学でした。ここにシュトースの8人の聖人群像「マリア祭壇」が眠っていました。その存在はある資料で知っていてそれを見に赴いたのですが、どんな像かはわかっていませんでした。それがなんといただいたシュト-スの写真集に掲載されていたのです。博物館の一番奥にこの像がありました。小品ですがその彫りは素晴らしいものでした。

 さらに9月29日(木)、ニュルンベルクのゲルマン国立博物館、聖ロレンツ教会、聖ゼバルドゥス教会と巡り、広大な聖ヨハニス墓地に向かいました。ここにはシュトースの墓があるのです。デューラーの墓はしっかり表示もされていたのですぐにわかったのですが、シュトースの墓を見つけるのに小1時間かかってしまいました。

 さらにさらにこの墓地の一角に小さな教会があって、アダムクラフトの群像があるはずなのです。無人の教会をぐるっと外から巡ってみると、内部が見える小窓がありました。そこからしっかり作品が見えるではありませんか。

 気をよくしてさらにカイザーブルクに足を伸ばしました。ここにシュトースの磔刑像があるはずなのです。ようやくブルクカペレを特定して磔刑像を発見し、綱の手前でルールを守って撮影していたのですが、職員になにやら大声で叱責されて不快な思いをさせられました。ドイツではあまりないことでしたので、その時は落ち込んでしまいました。

  私たちのシュトースの旅はまだまだ続きそうです。クラクフでは墓碑とレリーフと磔刑像、フィレンツェでは聖ルーカス像とヨーロッパを縦横に巡ることになりそうです。