後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔119〕清瀬・現市長とは思えない「神頼み、後鳥羽上皇頼み」発言です。

2016年12月14日 | 市民運動
 私の住む清瀬市が発行している「市報きよせ」が2,3日前に届いてびっくりしたり呆れたりしています。月2回発行の市報には、毎回「3本の木とともに」という市長のコラムが掲載されています。まずは皆さんにそのままの文章を読んでもらいたいと思います。

■3本の木とともに(2016.12.15、市報きよせ)
 来年は酉年、ご縁をいただいている「トリ」は白鷺です。今から26年前のことです。幼稚園での子ども達のあるトラブルが、父親同士の大きな対立を生み出してしまい、園長室で父親達との話し合いの場を設けました。
 午後6時でしたが「どうしたらいいのか」と異常な緊張状態のなか、私は当時大好きだった池上本門寺のお坊さん、中島教之さんの墨詩集の「前向きに生きる人には天と大地が味方する」を見つめて心を落ち着かせていました。
 そこに午後4時ごろ突然、親友の蕎麦屋甚五郎の喜久さんから電話が入りました。「渋谷さん、今時間取れるかな?」「ええ、30分くらいなら」。そして、喜久さんが大きな風呂敷包みを下げて幼稚園に来ました。
 「渋谷さんに前々から陶芸家の飯能焼きをプレゼントしたいと思っていて、1か月くらい前に届いていたけど、今持っていこうと思って持ってきたよ。渋谷さんは子ども達の夢や希望を育てる仕事をしている。だから、心にしみこむ夢を訴えていってほしいし、渋谷さん自身にも人の心にしみこむ成長、飛躍をしていってもらいたい。だから、鷹や鷲の飛び方ではなく、白鷺が舞うが如く飛躍をしてもらいたいと思い、焼いてもらった」と、白鷺を描いた大きな壷を取り出しました。
 天と大地が味方してくれ、対立は回避できました。以来、白鷺の壷は卒園式の壇上から子ども達を見守っています。
 もうひとつのご縁は、極めて畏れ多いことですが、「後鳥羽上皇」です。実は7年前にある人に頼まれて、後鳥羽上皇の扇をご神体とする島根県吉田町の吉田八幡宮の神主一族が創立した板橋にある「稚竹幼稚園」を後継者がいないため引き継いだのです。以来毎年、吉田八幡宮に参拝しています。
 そして上皇の御霊は大阪の「水無瀬神宮」に祭られていますので、お参りしてきます。今年、柳瀬川氾濫が迫り、初めて避難勧告を発令しました。水無瀬ですから柳瀬川が氾濫しないよう畏れ多いですが後鳥羽上皇にお願いしてきます。
 さて、渡り鳥はV字飛行によって単独よりも長距離を飛べます。まさに「手をつなぎ 心をつむぐ みどりの清瀬」です。酉年、皆で飛躍を目指しましよう。
                     清瀬市長 渋谷金太郎

 いかがですか。
 まず、「親友の蕎麦屋甚五郎の喜久さん」に注目してください。蕎麦屋甚五郎というのは、清瀬市に隣接する所沢にある地元ではけっこう有名な蕎麦屋さんで、私も母親などを連れて行ったことのあるところです。ここで問題にしたいのは、市報のコラムに特定のお店の人の話を書くというのはある意味、宣伝の要素が含まれるのではないか、という疑念が生じることです。
 さらなる問題は、「柳瀬川が氾濫しないよう畏れ多いですが後鳥羽上皇にお願いしてきます。」という箇所です。市長が個人的信条として、神道を信仰しても天皇制を肯定してもかまいませんが、この文脈からすると、水害が起こらないように神頼み、後鳥羽上皇頼みするということのように読めるのではないでしょうか。あなたは卑弥呼か、と言いたくもなるのです。