アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

117 アチャコの京都日誌 再びの京都 洛陽33か所 6番 金戒光明寺

2017-08-14 18:44:25 | 日記

終戦記念日

北朝鮮がきな臭い。人を殺戮する作業が延々と続く愚。戦後教育の見直しが急がれる。


戒光明寺も何度も訪れている。

真如堂の隣、黒谷と呼ばれる地域。山門を潜り石段を登り、振り返ると京都市内が一望できる。

吹き出た汗がちょっとだけ引いた感じがする。

知恩院と並ぶ浄土宗の格式の高いお寺だ。黒谷は決して「谷」ではない。市内を一望できるくらいだから高台だ。

ではなぜ「黒谷」か?最初法然が比叡山で与えられた地が、比叡黒谷だったので、この辺りが新黒谷と言われた。

長い年月の経緯で、ここが黒谷さんと言われるようになった。「谷」だからではない。

西側からの入り口の門に、くろ谷の大きな石碑。

56代清和と57代陽成は平安時代中期。

後一条は、68代なので平安後期。

皇族とも関係が深い地域。

また、幕末に京都守護職の松平容保の本陣があった事から、会津藩士の墓地がある。

法然上人800年大遠忌記念碑。

北門から真如堂はすぐ隣。

「黒谷 京都五劫...」の画像検索結果

五劫思惟阿弥陀如来石像

この阿弥陀さま、民衆を救うため、五劫の時間を費やして深く考えたという。

一劫とは「四十里立方(約160km)の大岩に天女が三年(百年という説もある)に一度舞い降りて羽衣で撫で、

その岩が無くなるまでの長い時間」

その五倍の時間だ。その間、散髪屋に行けなかったので髪の毛がこのようになった。

けど、伸びるのが遅い??

 

 

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

116 アチャコの京都日誌 再びの京都 洛中33か所観音霊場 32番蘆山寺~5番新長谷寺

2017-08-14 10:05:28 | 日記

 

32番 蘆山寺 ~ 5番 真正極楽寺 真如堂 新長谷寺 

歩行の都合上、すぐ近くの蘆山寺を先に訪れてから、5番の真如堂に向かう。

 

紫式部邸宅跡となっている。その顕彰碑が立っている。

その完成日の11月11日を古典の日と定めたものだろう。

滋賀石山寺とここで源氏物語が執筆されたのだ。

現在、桔梗が見どころとの看板も出ていた。

 

鴨川を渡り吉田山の方向を目指し、ほぼ京都大学のキャンパス横を歩く。

夏休みで静かなキャンパスを想像して行ったが、なんだか騒々しい。

行列が出来ていて、「最後尾」の立て看板。見るからに賢そうな若者たち。

中には親も付いている。「京都大学医学部オープンキャンパス・夏の特別見学会」

京大医学部を目指す高校生たちだ。親も賢そうに見える。

中には参考書を片手に列に並ぶツワモノもいる。

私のように自分も息子たちも受験に縁が無くなった人間には無関係だが、

この暑い夏、勝負をかける若者がここにもいる。

吉田山に通じるなだらかな坂道が、アキレス腱にこたえる。汗が背中を伝うころ、やっとたどり着く。

真如堂は光明寺と地続きで並んでいる。

 奈良長谷寺の本尊を摸刻した11面観音を拝む5番札所新長谷寺、真如堂の境内塔頭だ。真如堂は何度も訪れている。

やはり紅葉の季節が一番だ。

 

 

人も少ないので、ゆっくり庭を見て帰る。

涅槃の庭は、遠く通称大文字山の如意が岳を借景にしている。

石組で釈迦の入寂を現わした庭だ。


真如堂は三井家の菩提寺である。隨縁の庭は、

三井財閥の家紋をモチーフした庭を、重森三玲の孫にあたる、千靑氏が作庭した。

確か、三玲氏の子は、ゲーテ・カントだったと記憶する。

娘を連れた女性の二人ずれ以外、訪れる人もなく静かにゆっくり眺める。

話しかけようと思ったが、私をうさん臭いおっさんと思ったのか、早々に立ち去った。

可愛いお嬢さんと、美魔女風の奥さんだったので残念。

 

今日は何も事件が起こらず面白くない。ああ!

お陰で、境内塔頭の新長谷寺を拝むのを忘れた。何の為来たのか?

 

 

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする