アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

132 アチャコの京都日誌 再びの京都 天の橋立 智恩寺 付録 体罰について

2017-08-31 18:41:24 | 日記

 

日野皓正が体罰で問題となっている。

私は学生時代、体罰で後輩を手にかけた経験がある。

「体罰」の画像検索結果

この話をする時、今でも胸がいっぱいになる。

『大学のテニス同好会の夏合宿。同好会とはいえ4大学連盟戦など体育会並みの戦闘意欲のあるサークルだった。

合宿の中日には恒例の指導強化と称する「しごき」の日があった。

上級生が下級生を指導する。例えば、ベースライン(サーブする時に立つ一番後ろのライン)に立たせた下級生に

ネットに立つ上級生が左右に激しくボールを出して走らせる。取れるか取れないかの微妙なボールに対して

必死で走って打って返す。疲れて来るとラケットに触るだけになってくる。

そして何分も経つと疲れて、後輩は自然にネットの方に近づいてくる。

ネットに近いほど、左右に走る距離が狭まるからだ。疲れて来ると本能がそうさせる。

ボールを出す先輩は、その分強いボールを繰り出す。後輩はどんどんネットに近くなり、

遂には先輩と後輩がネットをはさんでボールをやり取りする。

知らない人が見ると、単に先輩が後輩にボールをぶつけているだけに見えるだろう。

しかし、出来る選手はベースライン上でしっかり走って追いかける。炎天下のこのしごきは、人間を異常に興奮させる。

コートの周りでは、後輩の同級生たちが必至で励まし続けるのだ。女子はもれなく泣き声だ。

ある時、私が目をかけている将来楽しみな後輩にボールを出していた時だ。すでにお互い興奮状態だ。

当然、彼にはベースライン上でしっかり走って打ち返して欲しかった。しかし開始後すぐに前に出て来た。

私はそれが気に入らなかった。それが有望な選手のすることか?大きな声で何度も恫喝した。

ネットそばまで出て来た彼に、遂に私は、ネットを越えて彼の前に立って「奥歯を噛みしめろ!」

言うが早いが、往復ピンタで2発殴った。

殴られた彼は、鬼の形相でベースラインに戻り、涙の中、最後まで追いかけ続けた。

ボールを出す私も涙で彼が見えなかった。キャプテンが止めに入るまでしごき続けて、クールダウンの為

彼と二人でコート周辺をジョギングしながら、彼は私の手を握って号泣していた。

「手抜きしてすみませんでした。」そう言うのがやっとだった。

その後、彼は試合でも一切手抜きせず、厳しい厳しい試合を勝ち続け数々のタイトルに輝いた。

彼は、駆け引きを一切せず剛球必打に徹するタイプの男で、私が理想とするスタイルのテニス人だった。

優勝する時は、ベースラインの相手には早いボールで空振りをさせて、ネットでボレーする相手のラケットを弾き飛ばした。

そんな彼が、ベースラインを捨ててネットに近づいて来たことが許せなかった。彼もそれが手抜きと自覚していたのだ。

そこに、鉄拳制裁。分かり合う二人だけの戦いだったのだ。』

40年ぶりに彼とあった時、やっぱりこの思いでは涙なしで語れない。

しかし、今は通じない。理解してもらえない。私は「愛情さえあれば鉄拳制裁も辞さない。」と言う指導者に与するものではない。

しかし、現在のマスコミの一方的な報道には反発を禁じ得ない。被害者の方の非も言わねばならない。

今回の日野氏の体罰も詳しく記事を読めばニュアンスは違って来る。

被害者の少年も非を認めている事から、もし記者会見をするのならば、両者同席の上

お互いの「相互謝罪」の会見の場にして欲しい。

見どころがある有望な人材であるからこそ厳しく指導する指導者がいるのだ。

 さて本題 丹後の旅 第2弾

日本3大文殊の寺に行って来た。

奈良の安倍の文殊さん  京都今戒光明寺 そして ここ智恩寺の文殊さん

場所は、天橋立。JR天橋立駅の真ん前。正式には 橋立山 智恩寺

大きな山門をくぐる。

重要文化財の多宝塔。

室町時代の遺構としては、京都北部唯一の建物。

中の本尊は大日如来。また丹後一の宮、籠神社の智海という人が描いた不動明王も中にある。

寺の歴史は古く平城天皇の時代。寺名は醍醐天皇の勅による。平安初期だ。

3人寄れば文殊の知恵、と言われる学問の御利益がある。

三代文殊?あれ?今戒光明寺入っていない。諸説あるようだ。

力持ちを競う「力石」

こちらのおみくじは、扇型になっている。境内につるされている風景は何ともかわいい。

日本三景の天の橋立のおひざ元の寺。



 

 

 

 

 

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131 アチャコの京都日誌 再びの京都 成相寺  付録 絶対に笑ってはいけない話 余談 放尿

2017-08-31 07:16:06 | 日記

 「決して笑ってはいけない。」

今日は、決して笑ってはいけない話から。

時間がたっぷりあるので、マンションの総会に参加した。

近所の公民館の一室。奥に一列5人分くらいの椅子に理事長以下数名が座り、

対面して、我々一般住人が10数人ほど参加していた。私は最前列に座った。

今どきのマンションだから、住民同士も会話はない。要するに厳かな雰囲気だ。

冒頭、新理事長のあいさつとなった。司会の若い理事が紹介し老齢の理事長が立ち上がる。

明らかに緊張している。豊かに生えそろった口髭が震えている。なかなか第一声が出て来ない。

決して、笑う場面ではない。誰も声を出す時ではない。咳することもはばかれる。まして屁はコケナイ。

私は、お腹が波打つほど笑いを堪えていた。

理事長のチャックが全開なのだ。立ち上がった股間が私の視線の正面にあった。

「チャック全開く...」の画像検索結果

恐らく直前に用を済ませたばかりなのであろう、全開のチャックは大きく広がって中からステテコの繊維が見える。

そのステテコの前面も大きく広がり、鮮やかなパンツの色まで確認できる。

お年の割に、真っ赤な良い色のパンツをはいている。ってか、パンツがあって良かった。

それも全開だったら大変な事になっていた。絶対に笑ってはいけない。

理事長がしゃべりだすと、呼吸に合わせて全開の繊維が微妙にパカパカ動く。

絶対に笑ってはいけない。

「全力を尽くしますので、よろしくお願いします。」大きな拍手の中、終了。

「全開をしますので・・・。」としか聞こえなかった。               腹筋が痛い。

理事長がこの後、トイレに行ったあと自殺しないか心配だ。

本題

京丹後の重要なお寺を確認する旅に出た。

まずは、成相寺。

 

天橋立を眺望できる西国33か所巡りの28番札所。

まずはパノラマの絶景を楽しむ。有名な「股のぞき」はここが本場らしい。

長い石段の上の本堂の御本尊は聖観音。小野小町も拝んだという、美人観音と言われる。

美人が拝んだので美人観音か?拝んで美人になったので美人観音か?それが問題だ。

別名、身代わり観音。

昔、一人の修行僧が空腹に耐えきれず、死を覚悟し「今日一日だけ食べ物をお与えください。」と念じたところ、

夢うつつに鹿が現れ、その脛の肉を削いで食べたところ、翌朝、観音様の脛の部分が削げ落ちていて、

観音様が身代わりになってくれたと知る。寺名の、なりあい 願い事が実現する、「願い事成り合う寺」とした。

 雪の降る地域なので風雪に耐えた本堂は、歴史を感じる。

左甚五郎作の、正面真向きの龍。カメラ目線の珍しい龍。動いてもその方向を見ているようになっている。

ただし、左甚五郎の作品は全国に何百あって、200年以上の幅で作品が残っている。

贋作も多いが、ここは大丈夫か?因みに、本堂内でこれだけ撮影可。

 

つかずの鐘。

昔、新しい梵鐘を作ろうと寄付を募ったところ、ある女房が子供はたくさんいるけど寄付するお金はないと断った。

いよいよ鋳造の日、多くの見物人の中に、その女房も寺を尋ねた。

しかし、何と、誤って銅を湯に溶かしているるつぼの中に子供を落としてしまう。

出来上がった鐘は、突くと悲しい音色と共に赤ちゃんの泣き声が聞こえたという。

その子の成仏を願い鐘を突くことを止めたと言う。

住職に聞いたところ、「数年前の大晦日に一度だけ音色を聞いた。」「どんな音でした?」

「別に普通の音色でしたよ。」もうちょっと言い方ないのかよ!!

そして平成の現代に突然現れた五重塔。

鎌倉時代の様式を正確に再現したものだ。朱色も鮮やかだが、なぜか歴史を感じる立派な塔だった。

秋風の吹く、肌寒さも感じる。

もう一度、絶景をじっくり見て周りに誰もいないので、思わず放尿。

前立腺を振り絞り、天の橋立にまで届く勢いで久しぶりに充実感のある放尿だった。

(絶対女性には理解できない快感だ)

ついでに放屁も垂れた。

 

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