第14番は、泰産寺
泰産寺・子安の塔の歴史は古く、光明皇后が観音様にお願いし無事安産にて出産したことで、三重の塔を建立したという。
元は、清水寺仁王門の下にあったと言うから、清水の三重の塔と並んで建っていたことになる。
中には、千手観音が安置され、子安観音と言う。
清水の舞台から見るとそれなりの存在感がある塔だが、近くで見ると意外に小さい。
高さは15メーター。
因みに、以上の清水の5か所。納経所はすべて本堂東に一括して対応している。
納経帖は300円。軸は500円。
計4800円払った。
暇も金も要るのが巡礼だ。(涙)
さて、最後のネタ。
阿弖流為と母礼(モレ)の碑だ。清水の創建当時、平安の初期の最大の政治課題は、東北の征伐だ。
「まつろわぬ民」の征服は、数々の戦いを生んだが、坂上田村麻呂に至ってやっと成ったのだ。
征夷大将軍の祖、田村麻呂は、清水寺の創建者でもある。開祖は、延鎮と言う奈良の僧だ。
田村麻呂は、遂に降伏した北の王者二人を京に連れて来る時の条件として、「命は救う」と約束した。
しかし、京の公家は二人を信用せず処刑を命令する。田村麻呂の説得も空しく処刑は行われた。
1200年の怨讐を越えて、遷都1200年を記念して岩手県人会を中心に顕彰碑が建てられた。
さらに近年、毎年夏に岩手名産の南部鉄でできた風鈴を寄贈する。
何百の風鈴の音色は、極楽浄土が来たようだ。
これを騒音と言う人もいると聞いて悲しくなる。
田村麻呂を祀る「開山堂」の前には、一段と多い風鈴が釣られる。
古代の英雄たちの友情を感じる。