終戦記念日に閣僚の靖国神社参拝はなかった。一般議員の参拝は定年通り行われた。
私は、靖国に参拝する人たちの皆が、戦争を礼賛しているとは思えない。
因みに靖国神社本殿横の、遊就館を見て来ると、戦争が如何に悲惨なものか分かる。
生還不可能な特別攻撃隊の方達の遺書を見ると、当時の若者たちの国家・家族への思いの深さが分かる。
改めて戦争反対の思いを共有できる空間だ。
何故日本の国会議員が、そこを訪ねる事が世界の一部の批判を受けるのか?
戦後総括をいつまで行うのか、未来永劫の謝罪を求めるなら、日本は鎌倉時代の「元寇」まで遡って謝罪を求めるか?
さて、JR奈良線 棚倉駅の「涌出宮」を訪ねて来た。初めての訪問だ。
「居籠祭」の事が気になっていたので行って見た。
この神社の歴史は古い。天照大御神を伊勢神宮からお招きしその名前を憚り、天乃夫岐売命と名乗り御祭神とした。
注目されるのは、この神社の祭祀の大部分が地元民による八つの宮座によって行われていることである。
2月中旬、この祭りが行われる。
まず、「もりまわし」といって役の者が山の中や神社近くの塚11か所をまわって神を迎え、松明を作る。
次の日以降、「門の饗応」で松明を燃し、「御田の式」(種蒔きから田植までの予祝行事)が実施され、深夜に、「野塚祭り」の後、あけの太鼓で終了となる。迎えた神をもとに戻す。
この野塚祭が誰も見られることの無い行事で、みんなは家に居て籠るので「居籠祭」という。
数日後、「女座の祭り」で女衆が各座の当屋に集まり、大根で作った男根の擬え物の前で会食し、
擬え物を持って涌出宮に奉納、神楽をあげてもらう。
生命の繁栄の原点として、男子の隆々たる勃起したシンボルをタブー視せず崇めるのは農耕民族の日本の象徴だ。
以上、神社などのHPから引用しながら祭りを説明したが、これは日本の祭りの原点になっていると考えられる。
特に居籠祭りが神の来臨と饗応を軸とした厳粛かつ、古風な祭りの形態をよく残している。
珍しい女性中心の豊穣祈願の女座の祭りは、男根信仰として誠に貴重だ。それにしてもあの大きさは、実際の大きさか?
右が本殿、左が拝殿。室町時代の建造物。
境内の社務所を建築するときに、敷地周辺から弥生時代の住居跡や生活の痕跡を現わす遺物が多く発見された。
すると先ほどの民間信仰的行事は、太古の昔から伝えられた原始宗教儀式の名残と考えられる。
境内に偶然いた神職にいろいろ訪ねた。とうとうとご説明いただき、私も質問をすると、
そんなにご興味があるならと、居籠祭のDVDを貸して下さった。
早々に帰宅後に、自分の書斎の部屋のデッキから「壇蜜厳選エロDVD」を出してみて見た。
純粋に地元の「宮座」という方達だけでこのような厳かな行事が連綿と続けているのかとつくづく感心した。
因みに、NHKでも取り上げられたという事で、男根は写ってなかった。
現在、仕事もなく私はまさに、「居籠り」だ。