アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

122 アチャコの京都日誌 再びの京都 清水寺本堂 「忠僕茶屋」「舌きり茶屋」の物語

2017-08-19 20:26:30 | 日記

11番は、清水寺 本堂 

有名な舞台造り(崖造り)のあれだ。現在は改修中で足場に覆われている。

従って、舞台から音羽の滝を眺めた写真。

高所恐怖の方には、足が落ち着かない。しかし・・・。

「清水の舞台から...」の画像検索結果

願掛けの為、舞台から飛び落ちる女性。(錦絵)

案外飛び落ちる人は多く、しかもけがはしても、かなりの確率で生還している。

明治初め、「飛び落ち禁止令」が出されたほど日常的に飛び落ちは行われた。(決して「飛び落り」ではない)

因みに現在でも、禁止令は有効のようです。

本尊の観音様は、十一面千手観音立像(清水式)で秘仏。

11のお顔に加えて頭上にもう一つ仏像を差し上げておられるという大変ありがたい御本尊。

その仏さまに、一生一代の願いをかけて、飛び落ちたのである。

さて、本日の「ねた」は。

清水寺が、倒幕運動の拠点であったという話。

下の写真は、清水寺成就院の僧月照と信海、そして西郷隆盛の石碑だ。(月照・信海は兄弟)

「月照」の画像検索結果月照

右手にある碑は、近藤正慎(しょうしん)

そして忠僕の人、大槻重助。

これらの人の関係は?

まず月照・信海の兄弟僧が尊王攘夷運動に走る中、月照と西郷隆盛は親交を深め、幕府に追われる身となる。

進退窮まり、薩摩の錦江湾に隆盛と入水心中をする。(一説には一線を越えた中とも言われる)そして隆盛だけが生き残る。

大槻重助はその月照に最後まで、忠僕の人として付き従った。

近藤正慎は、京都において幕府から月照の行先を尋ねられ、拷問の末

自ら舌を噛み切って死ぬ。

維新の後、その二人の子孫にだけ、清水寺は境内で茶屋を営むのを許可した。

「忠僕茶屋」と「舌きり茶屋」と言う。

話はそれだけで終わらない。

その近藤正慎のひ孫が、近藤正臣である。

 

IMG_1764

 

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京都というところは奥深い。

 

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