期日前投票に行って来た。
区役所の一室に会場はあった。丁寧で誠に役所らしい体制だ。
入り口には親切に、問い合わせに対応する人。腕章をして何か書類を小脇に抱えている。
「期日前投票は、こちらです。」
以上でこの方の仕事は終了。次に、入り口を入るとテーブルに3名座っている。
1人目「選挙人方の持参のはがきの裏面に必要事項をお書きください。」
「書いてきました。」(なぜ期日前に投票するかなど、簡単なチェックをするところがあるのだ。)
以上でこの方の仕事は終了。隣の人、用紙を受け取るだけ、
その隣の人、「生年月日を、月日だけ言ってください。」「8月21日です。」(ボケのチェックか?)
「どうぞ。」選挙区の人名を記入する用紙を渡しこの方の仕事は終了。
記入して投票。投票箱の前に、ずらーと3名ほど座っている。中でも中央の人は、背広来ていて威厳を漂わせる。
特に仕事はない。
そして、比例区と最高裁判所の裁判官審判の用紙を渡す人が一人。仕事はそれだけ。
そして投票箱の前に2人。なぜか横に立っているだけの人が一人。
「最高裁判所裁判官の審査は、丸を付けるのですか?」
「いいえ、だめな人に×を書いてください。」「良い人には?」「何も書かなくて良いです。」
「〇は書かなくて良いのですか?」「何も書かないでください。」
「やっぱり×か〇か、書くべきじゃないですか?」「だから何も書かないでください。」
「せめて〇は書きたいです。」「・・・・・・。」
そもそも〇か×かで判断すべきではないか。判断しかねる場合に空白にするのが当たり前の庶民感覚だ。
何も知らない人に、何も書かない事で暗黙の内に〇を書いたのと同じ効果があるのは、良いのだろうか。
ところでこの方たちは、どんな裁判でどんな判決を下したの?憲法改正にはどんな見解の人なの?
情報はどこに書いてあるの?
しばし立ち止まった。立っているだけの人が、「どうぞ投票してください。」
ああっ。これがこの人の仕事か?
以下は、総務省のHPから引用
制度の趣旨 日本国憲法第79条に規定される最高裁判所裁判官国民審査は、既に任命されている最高裁判所の裁判官が、その職責にふさわしい者かどうかを国民が審査する解職の制度であり、国民主権の観点から重要な意義を持つものです。 最高裁判所の裁判官は任命された後に初めて行われる衆議院議員総選挙の投票日に国民審査を受け、この審査の日から10年を経過した後に初めて行われる衆議院議員総選挙の投票日に更に審査を受けます
投票できる人は 衆議院議員の選挙権がある人は、最高裁判所裁判官国民審査の投票をすることができます。
審査が行われるのは 最高裁判所裁判官国民審査は、衆議院議員総選挙の投票日に行われます。
投票所では、衆議院議員の小選挙区と比例代表の投票と併せて、最高裁判所裁判官国民審査の投票を行います。
本文と関係はありません。
投票の方法は 最高裁判所裁判官国民審査では、審査を受ける裁判官の氏名が投票用紙に印刷されています。
裁判官ごとに、辞めさせたい意思があれば「×」を記載し、なければ何も記載せずに投票します。
※「×」以外の事項を記載した投票は無効になります。
であればもう少し情報公開してください。
結願の33番の前に小ネタを!
賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)
この仏像、よくお寺の本堂の外によく見る。なぜ、外にいるのか?
東大寺の大仏殿の吹きさらしの外に、真っ赤な仏像、昔から気になっていた。しかも真っ赤なのも不思議。
賓頭盧尊者は神通力のとても強い人だったが、
ある事情でその神通力を封じられ人々の病を治すようにお釈迦様から命令された。
ではなぜ赤いのか? これは、賓頭盧尊者は酒が好きで、修行中にも飲んでいたらしい。
お釈迦様と禁酒の誓いをしたのにその約束を破ってしまった。その結果お堂の外陣に追いやられてしまった。
しかも酒の酔いが回った赤い姿で・・・。私も昔授業中騒いで、廊下に立たされたことがある。
しかし、おかしくないか?私は、これには違和感がある。おそらく賓頭盧さんはすごく優秀だった為、
お釈迦さんの入滅後、仲間におとしめられたのではないか、現代ではよくある事だが、昔にもあったのではないかと見ている。
羅漢というのは、まだ悟りに至らない修業の身だ、嫉妬や妬みの煩悩からは解放されていない。
特に優秀でお釈迦さんにも目を掛けられた賓頭盧を、羨ましく思うのは自然な事だ。
結果、あらぬことまで言われて堂の外に追いやられたのではないか?
現代のサラリーマン社会でも、出る杭は打たれるのである。
しかし十六羅漢の筆頭の評価は変わらず、外に追いやられても偉いのだ。
皆さん、今度お寺に行ったら探してやってくれ。修行もほどほどに・・・・。
さて、33番へ向かうか・・・。