現在の日経の、私の履歴書は面白い。先月の湯川れい子が失望の内に終わったが、
野村証券の出身の斎藤惇さんの履歴書は良い。証券マンのみならずバブル経済から今日に至る、
金融界の変化、すなわちコンプライアンス(法令遵守)から、フィディシャリーデューティー(受託者の忠実義務責任)への変遷を
見直すいい機会になると思う。
私自身の証券マン人生とほぼ重なるので、実感を持って読んでいる。
歩んだ道の値打ちはあまりにも違うが、出発点は共通しているので感慨深い。
本日からしばらくは、欠かさず読むべきだ。
そして
遂に、33番清和院にたどり着く。
清和院、当然清和天皇の所縁の寺だ。清和院、清和天皇は別名、水之尾天皇とも言う、
江戸時代初期の後水之尾天皇は、この方に因んで諡号を後水之尾とした。
ではなぜ、後水之尾は清和天皇にあこがれたか?
まず、清和の時代は、平安初期で、台頭する藤原摂関家に抵抗した天皇であった事だ。
后が藤原高子(たかいこ)、母が明子(あきらけいこ)いずれも
藤原氏本家の娘だ。時は藤原良房から基経の時代。
※このようにがちがちに藤原家に囲まれている。
父、文徳天皇が早くして崩御した時、第4皇子だったが母が良房の娘であった為、9歳で即位。
藤原氏に気を使いつつ生きてゆく、
しかし、この天皇は、強い、50人を超える皇子皇女をもうける。
以上の経過は、後水之尾天皇と酷似している。時は徳川家康の天下統一がなった時、
后は、皇女和宮。秀忠の娘だ。後水之尾も徳川に気を使いつつ生涯を送る。
こちらも多くの皇女皇子をもうける。つまり、
人間というもの自分の生存の危機を感じて生きていると、性欲が強くなるという。
3大欲望の、睡眠欲、食欲、性欲の内、性欲以外は無くては生きていけないが、
性欲を押さえても死なずに、生きてはいける。
しかし、オスの場合、生きていけないかもしれないという危機に陥ると
他の欲求より性欲が勝る。寝食を惜しんでやっちゃうのだ。
自らの命に代えて、最後に子孫を残すことを優先するのだ。
従って、徹夜明けや戦争に赴く時などには、性欲が異常に高まる。(学生時代、徹マン明けの朝、異常に股間がうずいたものだ。)
失礼!
生涯をそのような状況で生きている場合、常に生殖行為を義務と考えるようになるのだ。
子孫を多く残す事で、自分の生存を防衛するのだろう。
その結果、お二人は、京都の歴史に大きな足跡を残した。
清和天皇は、多くの子供たちを臣籍降下させ、清和源氏の祖となった。
江戸時代に至るまで武家の時代を牽引した源氏を誕生させたのだから、大きな足跡だ。
一方、その源氏の末裔(とされる)である徳川に支配された後水之尾天皇は、
京都の寺院に、その多くの皇女皇子を送り込んだ。その結果、
現在の門跡寺院の多くが後水之尾の皇女皇子を祖としている。
結果、京都の寺院のステータスを高めた。皇室の貴重な文化財遺跡を残したのもその効果の一つだ。
後水之尾の偉いのは、徳川家から迎えた政略の后、東福門院和子との間にも多くの皇女皇子をもうけている。
清和院には、その清和天皇の等身大の地蔵菩薩があるという、残念ながら秘仏だが・・・。
以上で、33か所を巡った。エリアの広さは、西国33か所や四国88か所に及ばないが、
京都市内を散策しながら趣深いひと時を経験できた。
始めた頃は、気が遠くなりそうな酷暑の時期だったが、
今は、秋風から初冬の肌寒さが漂う。数々の発見をして、またまた京都が好きになった。
今後は、また街の石碑を探す旅に出ようか・・・・。