京北の常照皇寺へ行って来た。
まとまった時間と天候が良くなければ行きにくい。北山通りから周山街道、高雄を経由して京北を目指す。
途中、台風の影響により片側通行の渋滞もあり1時間以上かけて到着。
自動車道がまだ整備されていない、桂川の源流を目指すドライブだ。
持明院統の光厳天皇ゆかりの寺。これほど過酷な運命に置かれた天皇は他に知らない。
現在の皇統には、数えられていない。なぜか、南北朝時代の北朝第1代の天皇だからなのだ。
現在の皇統は、北朝の血統で繋がっているが、光厳天皇から後光厳天皇までの北朝は正統とされていない。
ご覧のように血統は北朝、皇統は南朝でつながっている。
従って、現在の皇統は、南朝を正統としているので、本来96代後醍醐天皇の次であるはずが、認められていない。
鎌倉幕府倒幕の中で、持明院統と大覚寺統の関係と、足利家との関係、その中で翻弄されたのが、光厳天皇だ。
室町幕府成立で、持明院統は安泰になるはずが、「観応の擾乱」と言われる足利兄弟の争いに巻き込まれる。
今年、「応仁の乱」が話題になったが、これ以上に複雑なのが「観応の擾乱」だ。なにせ敵味方が、くるくる変わる。
幕府が、一時南朝(大覚寺統)に降参することで、天皇家は、一層混乱する。
何度も命の危険を味わい、京都、吉野、比叡と、流浪の果てに、
京北のこの地に最後の安住を求めたのだ。
結局、室町幕府は、三代義満将軍に至るまで混乱は続く。そして北朝の後亀山天皇に統一されて現在の皇統に至る。
光厳天皇、後花園天皇、後土御門天皇。
光厳から三代後の天皇、後花園が、大覚寺統に皇位を譲らなかった事で、完全に持明院統が今日に至る皇統となる。
山國御陵に眠る。
入り口参道は、樹木も少なく寂れた感じが良い。降雪もあるこの辺りには草木は少ない。
禅寺らしい庫裏の入り口。
拝観の方は、200円~500円の寸志をと、書いてある。無人だ、当然、500円置いて入る。
庭師の方としばし話す。
天然記念物に指定された古木の桜の木。奥の親株は樹齢650年。
添え木によりかろうじて倒れず立っている。それでも立派に咲くのだそうだ。
雪が降れば、雪下ろしをすぐにしないと枝が折れるので大変だとの事。
650年前と言うと、まさに南北朝時代だ。
その後の安定と、応仁の乱、戦国時代と歴史の変遷を眺めていたのだろうか。
方丈などの建物は、明智光秀が信長の命により焼き討ちにしたので、それ以降の建造との事。
丹波城主時代の光秀の事だ。そう言えば本能寺の変はこの辺りから、亀岡越え(老いの坂)で洛中に向かったはずだ。
開山堂。写真では、明るく見えるが、薄暗い堂内はやや威厳に押され恐怖感すら漂う。
斜面をうまく使った庭園。うらびれた建物と完成度の高い庭園のコントラストをしばし味わう。
本堂内を一人締め。時間と騒がしい外国人を、気にせず室町時代の混乱を考えながら、
一人で静寂を堪能した。
ここで手と口を清めて、山国陵を遥拝する。
庭石。何かの文字が刻まれている。
帰りに保育園の遠足に出合う。
次々に「こんにちわ・・。」と言ってくれた。私も大きく「こんにちわ、気を付けて・・・。」っと言った。
また、孫に会いたいと思った。