アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

955回 あちゃこの京都日誌  新シリーズ「新天皇国紀」⑪

2023-01-26 10:46:46 | 日記

その4 継体天皇の登場 「皇統が変わる時前天皇を貶める歴史改ざんは当たり前?」

日本書紀上NO.1の暴君!武烈天皇の本当だったらヤバすぎる ...武烈天皇

  ここまでで、古代から男系男子で繋ぐ「万世一系」の原則を確認しつつ、女性天皇で危機を乗り越えて来た事実を書いた。ダイバシティーを先取りする皇室の歴史が分かった。

 さて、河内王朝(百舌鳥古墳群の辺り)の最後の天皇である武烈天皇は、誠に勇ましい尊号だが、「悪逆非道」の天皇と言われている。これは、中国にある辛酉革命の考え方で、「王朝の最後は徳の無い大王だったので、仕方なく次は有徳の大王が新王朝を立ち上げた。」ことにしたのである。例えば、北条幕府最後の執権北条高時、足利幕府最後の将軍義昭など、政権交代にはよくある話で、特に創作の多い「日本書紀」の記載はそのまま信じられない。現代の財務省始め高級官僚の公的文書改ざんなど可愛いものだ。

 さらに、「日本書紀」には、武烈天皇崩御後、大連大伴金村という豪族の長が、仲哀天皇5世の孫、倭彦王に大王としてお迎えに行ったところ、倭彦王は「迎えに来た兵を見て恐れて山谷に逃げた。」と、一方、応神天皇5世孫の男大迹(おほど)王は、「慈悲深く孝行篤い人格で、兵を整え礼を尽くして迎えに行くと、泰然自若としてすでにもう大王のようだった。」ので、一同忠誠を尽くすことを誓ったという。このあたりも架空の物語を創作した可能性が高い。ただ、不思議なのは継体天皇がまず、樟葉宮(現在の枚方)に入った事だ。大和の地を踏むのは、その後20年を要する。これは継体にとっては不利な話なので、事実に基づくと思う。

 聖王と称えられた仁徳天皇ではなく、その親である応神天皇の5世の孫としたのは、仁徳王朝の否定でありやはり、王朝交代があったと考えるべきかも知れない。しかし、あまた有力豪族がいる中で極めて薄いとはいえ同じ血族の男子を指名した事、王朝交代という解釈にはしなかった事、あくまでも男系にこだわった事、さらに、取り巻きの豪族の長たちが実質の政権運営を行っていたらしい事など、その後の皇室継承の原則と世界に例のない政権運営システムの原型がうかがえる。重要なのは、決して武力だけで天皇になるわけではないということだ。

 一方、仁徳天皇の血統をつなぐ王たちも存在したはずであり、恐らくそれらを担ぐ抵抗勢力との間に20年の長きにわたる闘争があったのだ。継体天皇は即位時すでに57歳で、20年かけて大和に入った時はすでに82歳で、崩御するまでわずか4~5年しかなかった。嘘も誠もありながら、今に続く皇統の伝統的継承の始まりはこの天皇のもとで実現したということだ。この事は大変重要なことだ。

漫画】第26代「継体天皇」 |20人の天皇で読み解く日本史 ...

  • 「武烈天皇の悪逆非道」日本書紀より現代語訳

妊婦の腹を裂いてその胎児を見た。

人の爪を抜いて、芋を掘らせた。

人の髪を抜いて木登りをさせ、木の根元を切り倒し、登らせた者を落とし殺して面白がった。

人を池の樋に入らせ、そこから流れ出る人を三つ刃の矛で刺し殺して喜んだ。

人を木に登らせて、弓で射落として笑った。

女を裸にして平板の上に座らせ、馬を引き出して女らの面前で馬に交尾させた。女性器を調べ、潤っているもの(すなわち愛液が分泌されている者)は殺し、潤っていない者は、奴隷として召し上げた。これが楽しみであった。

筆者注・明らかに悪意のある他愛もない創作に思える。中国の殷の紂王(酒池肉林の逸話で有名)に似た話がある。

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954回 あちゃこの京都日誌  新シリーズ「新天皇国紀」⑩

2023-01-24 08:39:43 | 日記

その3 古代の人間性「その前に、古代の性の営みについての表現」

道祖神の意味とは?佐賀にある鏡山道祖神が立派すぎてやばい ...

 これから天皇家の皇位継承を通じて皇室の先進性を見て行くのだが、古代での性についての表現について書きたい。

そもそも男女神であるイザナギ・イザナミ尊の夫婦の営み(セックス)で日本の国が誕生した。最初、女性神であるイザナミ尊から誘ったために水子が産まれたので、今度はイザナギ尊が誘ったら多くの神たちが産まれたとされている。つまりセックスは男から誘うのが正しいと教えている。漢字で表記すると、伊弉諾・伊弉冉は「誘い誘われ」とも読める。なお、イザナミ尊の死の原因が火の神である我が子の誕生により「ホト(女性器)」にやけどを負ったことになっている。神話には女性器を神秘的なものとし、しばしば登場する。女性器のような割れ目のある岩や木の幹を神が宿るものとして信仰の対象になることも多い。

 

また、天皇(大王)の資質として生殖能力の高さを称える話は多い。雄略天皇などは、一夜だけまぐわった(性交した)女性の子が我が子とは認めない時、部下が「その時は一晩に何度行ったのですか。」と問えば「7度」と答えている。部下は「7度も営みを重ねれば子が生じもするでしょう。」と、大王の精力の強さを強調している。また、上古の天皇などは100歳以上の長寿を称えているが、有力豪族に皇子・皇女を与えて血縁ネットワークを構築するために子の多さも褒め称えている。

恋歌」(こいうた)の意味

さらに、万葉集に多くみられる「恋歌」には、「寝る」などと、セックスを連想する淫靡な表現が多く出てくる。女を見かければ誘う(いざなう)のは当たり前の事であったようだ。ナンパは決して卑しいことではないのだ。

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953回 あちゃこの京都日誌  新シリーズ「新天皇国紀」⑨

2023-01-24 08:25:37 | 日記

その2 皇室権力を確たるものにする為、殺戮が繰り返された。

「その為後継者もいなくなり、事実上の女性天皇が継いだ。古代も女性が国を助けたのだ。」

天皇家のルーツとは。日本人と天皇の歴史を探る | 家系図作成の ...

 現在の定説では、雄略天皇(河内王朝)は、「倭の五王」の讃・珍・済・興・武の内、最後の倭王武とされている。昭和53年に話題となった埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣が検証の結果、西暦471年のものと判明し「ワカタケル大王」の実在が判明し、関東地域まで朝廷(大王)の支配が及んでいたことも分かった。画期的大発見は、、当時、一大古代史ブームを呼んだ。記紀では「悪行の主なり」と、暴君の極みであるように書かれていて、戦国時代の信長を彷彿とさせる天皇なのだが、前時代を否定し新時代の幕開けを演出したある種の英雄でもある。(そのあたり日経連載小説「ワカタケル」池澤夏樹氏著に詳しい)自らの支配権を確立するためには手段を選ばず、あえて殺戮も辞さなかった。しかし皮肉にも、その後わずか20~30年で河内王朝は滅んで、数代を経て継体天皇の出現を見るのである。信長の破壊活動が、結果的に短期間に、秀吉を経て家康の天下泰平を演出したことに似ているような気がする。

雄略天皇 - Wikipedia雄略天皇

それでは雄略天皇の悪行とは何か。まず、兄の安康天皇を殺害した敵(かたき)の目弱王を討つとして殺しそれを匿った豪族も一網打尽に殺害し、その協力を渋った兄たち2人をも殺す。その後反対しそうな一族たちをだまし討ちで皆殺しにした。信長も驚くほどの残忍さで自らの王権を確立した。当時の権力争いはイコール殺戮の時代だった。やったらやり返される命を懸けた政争の時代だった。その結果、王権の強さや支配圏の拡大を見たが、あまりにも殺しすぎて、結果的に後継にすべき親族内の人材も居なくなったのだ。これも信長、秀吉同様、時代を切り開いた人間にありがちな猜疑心の強さからか、部下を含む実力者を悉く滅ぼしてしまったのだ。雄略天皇には後の清寧天皇という子がいたが、夭折しそのほかに適当な後継者はいなかった。

注目すべきは、「飯豊皇女」と言う方が、天皇の代わりを務めていたらしい事だ。しかし女帝とは言わず「称制」とした。大事なのは、この時代すでに天皇は男子であること、血統の繋がらない豪族が天皇になることはないという考え方が出来ていた事だ。この飯豊皇女、日本書紀には、「夫とは一度だけ性交しその後は2度と男と交わろうとしなかった。」と書いてある。すでに結婚していて処女とは言えないがその神秘性を強調したのだろう。何か卑弥呼のような存在感を感じる。確か、卑弥呼の後継者は壱与(イヨ)・台与(トヨ)で、飯豊(イイトヨ)と音が似ている。関係性はあるのだろうか。まだ、妖術的能力で政治を治める時代だったのだ。しかし、その後顕宗天皇・仁賢天皇と実在すら疑われる天皇で繋ぎ、暴君「武烈天皇」で、まったく後継者のいない時を迎える。皇室歴史上最初で最大の危機である。

陵墓地形図 武烈天皇傍丘磐杯丘北陵 奈良県の陵墓 : 関東の古墳 ...

 

※「倭の五王」

倭の五王(わのごおう)は、中国の『宋書』に登場する倭国の五代の王、讃・珍・済・興・武をいう。『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)における歴代天皇の誰に該当するかについては諸説ある

※「飯豊皇女」

第22代清寧天皇亡きあと、忍海高木角刺宮において政務を執り行ったことが「古事記」、「日本書紀」に記録されています。歴代天皇の系譜には記載がありません。しかし、記紀の記述内容を読み込めば、飯豊は短期間とはいえ大王(天皇)の地位にあったと考えることはごく自然なことだと思われます。平安時代の書物である「扶桑略記」には第23代天皇として「飯豊天皇」の名があげられています。以上葛城市HPから

※顕宗天皇・仁賢天皇

履中天皇の孫で兄弟。父の市辺押磐皇子が雄略天皇に殺されると、兄弟共に逃亡して身を隠した。播磨国明石で牛馬の飼育に携わっていたが、雄略の子、清寧天皇崩御後、探し出して二人を宮中に迎え入れた。その間は飯豊皇女が執政し、譲り合った結果、まず弟王が即位(顕宗天皇)し、そのあと兄の仁賢天皇が即位した。

 

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952回 あちゃこの京都日誌  新シリーズ「新天皇国紀」⑧

2023-01-21 09:37:18 | 日記

第1章 雄略天皇~継体天皇

 

その1  大古の昔は、130年以上生きた天皇が何人もいた。?

「昭和天皇は最長寿ではなかった。神の話から人間の話へ」

神武天皇 - Wikipedia

天皇の初代は、神武天皇だが、このあたりは神話の世界と重なりかなり歴史的真実とは考えにくい。特に、2代綏靖から9代開化までは、「欠史八代」と言われていて実在は疑わしい。何しろ皆さん御長寿でいらっしゃる。この間、長寿番付け1位は、孝安天皇137歳、2位孝霊天皇128歳、3位初代神武天皇127歳、以下孝元天皇116歳、孝昭天皇114歳、開花天皇111歳、綏靖天皇84歳、懿徳天皇77歳、安寧天皇67歳。なんと昭和天皇の89歳が史上最高年齢と思っていたのに、である。古代では、現在のようなストレスはなく天変地異もなく、また環境問題もまだなく有害物質に侵されることも無かった為か?しかし、当時の平均寿命など鑑みおよそ現実的ではない。まさに神の仕業としか考えられない。

しかし、実在しなかったという証明は難しく、今の半期を1年とする半歴説もある。それぞれ年齢を半分にすると現実味が出てくる。神武天皇は63歳か64歳、最も長生きの孝安天皇で68歳か69歳、(日本の暦にはお彼岸など年2回の行事が多いのはその名残か、また春夏秋冬の四季をそれぞれ1年とする4倍歴説もある。)いずれの国でも「国の大本」は神秘に包まれているもので、実在かどうかの議論そのものが興味深い。

実は、現在の学説では、10代の崇神天皇が天皇家の始まりと言われている。神武天皇の実名が、「ハツクニシラススメラミコト」と、崇神天皇と同じなのだ。スメラミコトは「皇尊」なので天皇の意味だが、ハツクニシラスは「始馭天下」とか「御肇国」と書きいずれも初めて国を治めるという意味なのだ。『日本書紀』や『古事記』を書く時代になって、神話の世界の神武天皇を祖とし、その次に8人の天皇の存在を創作し、始めて国を治めた大王(崇神天皇)の正当性を強調したのだろう。戦国時代など下剋上の時代に、自らの家柄を尊いものに見せる為、遠い昔から続いていたかのように家系図を創作したのと同じようなものなのかも知れない。しかし、女神であるアマテラスの時代からとは言え、同一王朝の男系を繋いでいるとされる国は世界でも日本だけだ。もし新しい王朝が武力で討伐したのならば、その都度、何度もそのような複雑で非現実的な歴史を残すことも考えられるはずだ。

ただ現実にはその後なお、地方豪族たちの覇権争いがあったものと思われる。崇神王朝はその後本拠地を転々とする。まず奈良の三輪神社あたりを拠点にした「古王朝」と言われる時代、次に仁徳天皇陵で有名な泉州・河内の「河内王朝」へと変えて行く。あくまでも皇室内での系統の違う王朝への交代なのかどうかは学説が分かれる。

いよいよ本題の継体天皇を語るのだが、その前に、大王家の統治を確立した一人の強烈な個性の天皇を書かねばならない。考古学的に実在が確定している最古の天皇、大悪天皇とも有徳天皇とも言われるワカタケルこと雄略天皇である。

継体天皇についての伝承地(1) 福井県越前市: 継体天皇紀行 ...継体天皇

☞「欠史八代」・・・『古事記』・『日本書紀』においては存在するがその事績が記されない第2代から第9代までの8人の天皇。現代の歴史学ではこれらの天皇は実在せず後世になって創作された存在と考える。

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951回 あちゃこの京都日誌  新シリーズ「新天皇国紀」⑦

2023-01-21 09:19:24 | 日記

 

⑧ 現代に繋がる安定的皇位継承の問題点

皇室の課題|平成から令和へ 新時代の幕開け|NHK NEWS WEB

 現在、今上陛下よりお若い天皇皇位継承権を持つ方は、皇太弟(皇嗣殿下)である秋篠宮殿下とそのお子様の悠仁親王殿下のお二人である。これで次世代まで皇位継承は安泰だという方もいる。しかし、お二人しかいらっしゃらない、このことが最大唯一の問題だ。言うのも憚れるが、万が一の場合は皇統断絶の危機が現実問題となっている。

 そこで女性天皇や女系天皇の議論がある。しかし、女性天皇と女系天皇の違いなど十分に理解されていない事や、歴史上女性天皇がどのような経緯で即位されたかなどの検証も不十分と言わざるを得ない。父親を遡れば必ず天皇に繋がるという我が国固有の男系男子による皇位継承は、女性天皇でも必ず父親(祖父)は天皇であった。両親とも天皇であれば良いが、そのお子(女帝は未婚が基本)は天皇になっていない。母が天皇であった子は女系天皇と言うが、歴史上その例はない。(男系・女系いずれにも該当する天皇はいる)つまり、今上陛下の内親王殿下の愛子さまは、男系の女性なので、そのような女性天皇の例はある。しかしそのお子は、愛子さまのお相手が男系(天皇に直結する血筋)でない限り女系天皇となり前例はない。

皇室のニュース一覧|FNNプライムオンライン

 従って、現在の皇室典範を改正するにあたり前例のない女系などの皇位継承をどうするかは大きな議論となる。まず、愛子様を皇位継承者にする場合、その継承順位を男子優先の後にして悠仁親王殿下の次にするか、今上陛下との血縁を優先して秋篠宮殿下や悠仁さまに優先するかという議論などは難しい問題だ。それは廃太子(現在の皇位継承者を一旦廃止する)という手続きが発生するからだ。また、眞子さまや佳子さまの継承順位をどうするかという議論も発生する。さらに、女系天皇も想定すると、愛子さま、眞子さま、佳子さまのお子に皇位継承順位をつけるかどうかという議論になりかねない。小室圭氏のお子様が天皇になる可能性すら出てくるのである。男女平等やダイバシティーの考え方を持ち込んで皇室問題を議論はできないと考える人が多いのはこのような事情による。

 これは何より皇位継承者の減少が原因である。太平洋戦争終結時、GHQの指示により多くの宮家・皇族を臣籍から民間へ降下させたことによる。実は、明治天皇も大正天皇もそして昭和天皇も女官からのお子であった。つまり皇后さまのお子ではないのである。女官制度では江戸幕府時代の大奥と同じ、将軍や天皇の血筋を守る為多くの女性を用意していた。この制度が現代のモラルに照らし合わせたら問題外だとは思うが、現実的には、一人のお相手だけでは皇位は守られていないのだ。今上陛下にお妾さんをと、言っているのではない。現実を述べているだけだ。そこで、戦後臣籍降下された旧皇族にお戻りいただく案も浮上している。しかし、戦後70年もたち世代交代した旧皇族の皆様には、すでに完全に民間人としての人生を歩んでおられる。当然、職業上の人脈や個人財産、人的つながりなど社会基盤を築いておられる中で、私的自由を大きく制限される皇室にお戻りいただくことは現憲法上適切なのかという議論はある。まして天皇や天皇の父ともなれば、国民の象徴として生きて行くことが求められることになる。生まれながらにして君主教育を受けておられる皇室内に生きている方々と違って、このような人生の激変を受け入れるものかとも思う。一部には、ご理解を頂けた方に限り、お一人かお二人を天皇家の御養子としてお入り頂く案も出ている。そのような崇高な志をお持ちの旧皇族の青年男子の登場を心よりお待ちする。勿論、皇室典範の改正と何より国民の理解を得る必要がある。

 そのような状況の中でも、学校教育現場や報道関係の情報にもしっかり歴史を踏まえた詳しく正しい発信がない事は多いに問題だと思う。江戸時代中期の新井白石のような近未来を見据えた施策を打てる為政者がいないのだろうか。政治家、学者の英知を集めての提言を待ちたい。同時に国民側にも、この機会にイデオロギーを超えて皇室の歴史、日本の歴史を学ぶ必要がある。

 

以上のような事から、8つのケースを詳しく見ることで先人の皇位継承への思いを見て行く。分かりやすいように表にして選んだ理由を書いておく。

 

21代雄略天皇から

26代継体天皇へ

皇統の最初の危機。別系統を立てたか、王朝の交代か

49代光仁天皇から

50代桓武天皇へ

天武系から天智系へ皇統の変更。皇族の争いの歴史を清算する。

57代陽成天皇から

58代光孝天皇へ

傍流が本流へ、藤原摂関家との確執を越えて皇室の権威を守る。

71代後三条天皇から

72代白河天皇へ

天皇親政へ院政を確立

82代後鳥羽天皇から

88代後嵯峨天皇へ

武家社会との競合から共存

96代後醍醐天皇

 

天皇親政と南北朝騒乱へ

108代後水尾天皇

 

武家社会全盛期の天皇、復古主義への道

119代光格天皇

 

傍系からの即位、血統の危機を救う。先人の知恵の集約。

 

 

 

 

 

 

 

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