多分結婚式でお馴染みのこの歌、知っている人多いだろうな。
私も結婚式のお祝いで、何度か歌った事が有るよw
少なくとも、この歌を歌ってあげた複数のカップル、「愛は勝つ」で、上手くやっているようだよw
Aiwa Katsu
まだ若いのに、残念・・・。
多分結婚式でお馴染みのこの歌、知っている人多いだろうな。
私も結婚式のお祝いで、何度か歌った事が有るよw
少なくとも、この歌を歌ってあげた複数のカップル、「愛は勝つ」で、上手くやっているようだよw
Aiwa Katsu
まだ若いのに、残念・・・。
その谷村新司さんが亡くなられたそうだ。
【速報】歌手・谷村新司さん(74)死去(2023年10月16日)
実は、私は「アリス時代」の谷村さんは、後で「あぁ、アリスの人?」って知ったくらい(苦笑)。
NHK紅白歌合戦で昴を聞いたのが初めてだったかな?
それ以降、彼のアリス時代の作品も含め、CDアルバム複数買って良く聞いていたね。
若い頃は「聞きながら運転」をよくやってたなぁ・・・。
谷村さんと言えば、さだまさしさんとの絡みが面白い。
これは、録画か何かだったけど、さださんと谷村さんのジョイントコンサートだったかな?
さださんが最初に舞台に立っていて、舞台に上がってくる谷村さんを紹介する、って段取りだったと思う。
さださんは、「彼(谷村さん)はわたしのお兄ちゃんです。」って言ってて、初対面の時のエピソードを次のように話していた。
「初めて会う前、『アリスと言う名の3人組です。』って聞いていたんですよ。『アリス』って言うと、皆さん何を連想します? 『不思議の国の・ア・リ・ス』ですよね。女の子ですよね。」
「そして、我々の世代で女の子3人組と言えば、『キャンディーズ』ですよ。これはねぇ・・・」
「これは、期待するしかないじゃないですか(笑)」
「でも、やって来たのがこの人達だった・・・」(この後、さださんが「どうもw」ってアリスメンバーの谷村さん・堀内さん・矢沢さんの声真似を一人ずつやって、会場が爆笑。)
そして、この後谷村さんが登場して理解できたんだけど、さださんはこんな事も言っていた。
「お兄ちゃんが先を歩いてくれているから、私は安心してこうたいできます。」 で、会場爆笑。
そこまでのファンではない私は、このこうたいという言葉で会場のファンの皆さんが爆笑するのが理解できなかったのね(^^;)
この後、谷村さんが登場し、さださんの事を「まさし」と親しく呼ぶ間柄、と言う事もわかる。
更に、先ほどのさださんのセリフに対するアクションがこちら。
「まさしがついてきてくれているってわかっているから、僕も安心してこうたいして行けます。」で、会場再び爆笑。
ここで初めて、このこうたいという言葉が、おでこの生え際の後退と言う事が分かったわけw
確かに、年齢よりは二人ともおでこが広い感じがしていたから、それを自虐ネタにしてたわけね(笑)
これが、私が思い出した、さださんと谷村さんとの笑えるエピソードです。
谷村さんが亡くなったと聞いて、真っ先に昴のこのフレーズの部分が頭に浮かんだ。
「鮮やかに、その身を終わらせた。」って、感じました。
ご冥福をお祈りします。
今日はクリスマス・イブ
長年人間をやっていると、それなりに想い出が有るw
この時期に幸せな想い出を持っているというのは、ある意味私は幸運かもしれない。
(その後が天国か地獄かは、まずおいておいて (笑))
その思い出のシーンに流れていたかは覚えていないけど、当時は既に「クリスマスの定番ソング」だった気がするのが、この歌。
「クリスマスソング って聞かれて、真っ先に思い浮かぶ歌は?」と問われれば、この歌が最初に頭に浮かんでくる。
【山下達郎】クリスマス・イブ
でもさ、この歌、失恋の歌だよね(^^;)
「♪きっと君は来ない~ 一人きりのクリスマス・・・」って歌っているから。
まぁ、幸せな想い出 以外に 幸せで無い想い出 の方が、私の場合多いから って事かもしれませんね(苦笑)
コロナのご時世、「我慢する」と言う言葉をよく耳にするが、「我を張る」から来ているらしい。
「意地を張る」事から来ているので、今のコロナ下ではちょっと違うね。
神田山陽さんだったと思うが、ラジオでタイトルの様に語っていて、調べてみると「辛抱」の方が「耐える」と言う意味では正しい使い方の様です。
さて、こんな辛抱するご時世、かつてはストレス対策の一つに「カラオケとかで憂さ晴らし」を時々やっていましたが、今はこれも自粛状態。
「歌えないなら、じっくり聞くのも良いかw」と言う事で、思い出したのが我が「心に残る歌」
今まで生きてきて、「この歌を初めて聞いた時って、こんな事があったっけ・・・。」
そう過去を振り返る機会を与えてくれる歌が、誰にでもあると思います。
時々そんな歌を取り上げてみたいと思います。
今回は、リピート回で、この歌。
時代 - 中島みゆき(フル)
エピソード。
高校の卒業はできたけど浪人。
親に車の免許の取得だけは許してもらい、トラック運転手としてバイトをしながら週2回の予備校の学費稼ぎ。
「来年合格しなくては後が無い。」というプレッシャーと直面していた頃、この歌に出会いました。
たった一人で沖縄へ旅立った親友(現役で進学)に、餞別代わりに贈った私の肉声入りカセットテープ。
これがきっかけで、手紙+カセットテープでの文通が始まります。
今でこそネットが発達して、全国の人が一つのチャットでリアルタイムの会話が可能。
日本だろうが海外だろうが、距離を感じなくなっています。
でも、携帯電話がやっと普及し始めた頃って、25年程前の出来事。
勿論それ以前の話だから、今から思えば次代の差がありすぎますね。
当時は、関東-沖縄の電話代 10秒10円ぐらい。
定形外郵便 140円くらいで、船便で約2週間。
定形外速達 350円くらいで、飛行機便で約5日。
今思えば電話ではお金が掛かりすぎ、手紙では時差が余りにも大きい頃でした。
周囲から「『進学もできず職にも就かずに遊んでいる』と思われているだろうな・・・」とコンプレックスを抱いていた私に、彼は月に二度のペース励ましの便りをくれました。
ある時、彼が自らギターを弾いて、彼の肉声でしかもダビングしてハモらせた歌謡曲集を作って贈ってくれました。
その中の一曲に、この「時代」がありました。
中島みゆきさんと言えば、かつて「プロジェクトX」のテーマソング「地上の星」で、ご存じの方も多いと思います。
受験時代当時の私は、「時代」という歌も彼女の事も全然知らない芸能界音痴(苦笑)
でも彼が一所懸命ギターで引いてくれたこの歌に(というか、この曲に)自然に引き込まれてしまいました。
歌詞をじっくり聴いたのは二回目以降からでした。
♪今はこんなに悲しくて、涙も枯れ果てて、もう二度と笑顔には、なれそうも無いけれど・・・
♪そんな時代もあったねと、いつか話せる日が来るわ。あんな時代もあったねと、きっと笑って話せるわ。
♪だから今日はくよくよしないで、今日の風に吹かれましょう。
「本当に今の苦労が報われて、(合格して)胸を張れる日が来るのだろうか・・・!?」
今思えば「こんなレベルで悩むなよ。」と言える程、その後に様々な困難に直面する事になるのですけどね。(苦笑)
でもこの時は「一年後に挫折が来たら、どう対応したら良いのだろう・・・?」という先の見えない不安が、常に「作り笑顔」の陰にありました。
♪巡る巡るよ時代は巡る、喜び悲しみ繰り返し・・・
「そうだよね、きっと笑える時代が来るよね。今程でないけれど、そう思って過去を振り返れた時があったから・・・。」
心の中で不安が頭をもたげてくると、この歌を思い出して気持ちを奮い立たせたものでした。
そして彼の応援の介も有り、私は運良く志望校に合格し、「笑って話せる日」を迎える事ができたのでした。
そして、時は再び巡ってきました。
昨年私は長年勤めた会社から転職しました。
入社してしばらくは「天職」とも呼べる好きな仕事でしたが、会社が5年以上も前からブラック化してしまい、仕事に対する意欲を完全に失っていました。
「惰性で仕事をしている」と言う状態、でしたね(^^;)
会社が傾いたため「早期退職」の応募が有り、それを気に退職。
翌月、私の退職を知った知人から「人手不足で困っている」と勧誘され、職種は全く違うものの私の好きなジャンルの仕事だったので、「人助け」のつもりでそれを引き受ける事にしました。
結果、収入こそ激減していますが(そもそも、パートタイム勤務ですので)再び意欲を取り戻す事が出来、今まで持てなかった「時間と心のゆとり」と「仕事に対するやりがい」を得る事が出来ました。
そして、今年のこのコロナ下の状態で、改めてこの歌のフレーズを実感しています。
♪そんな時代もあったねと、いつか話せる日が来るわ。あんな時代もあったねと、きっと笑って話せるわ。
今年の冬を乗り切れれば、コロナ前と同様の生活ができる、と言うのが私の希望的見解です(おぃっ)。
そう信じて、コロナを克服していきましょう。
年末の紅白歌合戦、今回もいい歌がありましたw
あけまして、おめでとうございます。
2009年の元旦、皆さんはいかがお過ごしでしたか?
私はお返しの年賀葉書を出しついでに、少しKeiワークスで走りを楽しんできました(笑)
さて今回の紅白、家事をしながら聞いていたので、全曲しっかり聴いたわけではない、と言う事が前提ですけど・・・。
私の一押しの歌だったのはアンジェラ・アキさんの
でした。
この歌のフレーズを聞いて、15歳の時の自分を鮮明に思い出しました。
中学3年。
進学するのが当たり前の時代。
で、何をしたいの? 何処へ進学するの? 何の為に進学するの?
全然見えていない。
ただ、はっきりしていた事は、中卒では選べる仕事の選択肢が極端に少ないだろう、と言う事。
だから、まず何処でもいいから進学して3年間は何とか時間を潰そう(苦笑)
18歳になれば車の免許が取れる。
そうなればぐっと仕事の選択肢が増えるだろう・・・。
進学の理由の本質ってこれでしたよ(苦笑)
学力からいうと8つの公立校が通学圏内の候補。
そのうちの上位2つが自分の学力にほぼ近い。
でも、進学する目的なんて、さっきの理由だけでしたね(苦笑)。
本当に当時の自分も、この歌詞の主人公と似たような考えだったなぁ・・・。
そんな感慨に浸りました。
結局「失恋」がきっかけで、男子校である最上位の高校へ行く事に決め、そのために受験勉強やってそれが報われて運良く合格。
そこが進学校でも有ったので、3年後に再び大学受験という悩みを抱えてしまう事になるわけで・・・。
まったく人生の分岐点は、わからないものです。
でも、その時はそれでベストと考えて進んだわけですから、それはそれで・・・(笑)
この歌、この年齢の中学生達の多くが共感しているそうですね。
15歳の壁、頑張って乗り切ってもらいたいですw