まあ、物は考えようですが、この言葉を聞いた時は「ちょっと不謹慎では・・・」と思った事も事実です。
だって、亡くなっている人が累計で既に2,000人越えていますからね。
もっとも、現在生きようとして頑張っている皆さんに、前向きになってもらいたい、と言う意味だったので、誤解の無いように。
相も変わらず新型コロナの話題です。
毎度のこと、食事中にNHKラジオを流していて、少し前に耳にした言葉なのでご紹介します。
「今我々はコロナで不自由な生活を送っていますが、これって障害者の疑似体験をしている様なものではないか」
その様に発言した人がいて、「言われてみればかなり当てはまりますよね。」と言う話をしていました。
「そういえば、車いす生活の人はかなり行動に制約を受けますよね。」
「冷え込んできている今、眼鏡をかけてマスク着用で屋外作業をする人は、眼鏡の曇りで視界不良になって大変ですね。」
そんな話をアナウンサーさんがしていましたが、確かに個人で程度の差こそあれ、不自由な生活を強いられている人は多いですね。
その分「テレワーク」とか「オンライン授業」とか、色々な形で対策を取り出している。
ある意味、「バリアフリー」につながる機会でもあると同時に 健常な人達が、この時期の様々な制約でストレスを溜めている事についての気遣い とも取れました。
そういう意味では、一理あります。
でも、個人的な思いだと、むしろ 全国的な自然災害で全国民が避難生活を強いられている と言う方が、より近いのではないかな、と思います。
避難所でなく自宅で生活できインフラも通常通り使える、物理的には軽度な「自宅非難状態」。
何故「物理的」を加えて書いたかと言うと、
・個々の事情で失業・減給等、収入面での厳しさの点で、明日の食事にも困っている人がいる。
・住み込みの仕事をされていた方が失業すると、住宅そのものは残っていても、そこで住めなくなってしまう。
この様なケースも有るはずなので、軽度とは言えないですからね、誤解の無いように「物理的」を付け加えたつもりです。
そう考えれば、「GoToが取りやめになって、引きこもりが続くなんて、やってられない!」と言う声も聞きますが、「いやいや、GoToに行けるなんて、どちらかと言うと恵まれた避難生活を送っているのですよ。」と言えそうな気がしますw