エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

今日は大寒

2018年01月20日 | ポエム
大寒の寒さの中では、縮こまるしか無い!
そう思いつつ、昨日は小石川後楽園に出かけたのであった。

そろそろ梅が咲き初めたであろうと、勝手に判断して出かけたのだ。
白梅が四五本、紅梅が二三本。
綻び始めている。

園内を隈無く歩き回り、漆喰壁の面白さを詠んでみた。







「大寒や漆喰壁の縞模様」







句を詠んだ日は大寒の前日だけれど・・・。
気分は「大寒」の日。



美しい壁なのだけれど、手入れは行き届かない。
カビのような、苔のような青いものが白い壁を浸食しつつある。



でも、庭園の美しさが損なわれた訳では無い。



寒椿の紅が、点晴となっている。
大名庭園の極みである。


     荒 野人

第18回市川手児奈文学賞

2018年01月15日 | ポエム
あまり声を大にして云うべき事、ではない。
残念な結果ではある・・・。

市川市の手児奈文学賞に応募をした。
俳句結社「沖」の能村研三主宰が、市川在住であること。
能村主宰が、選者のトップであること。
などが応募の動機、であった。



沖の句友から、手児奈文学賞の俳句部門に応募して下さい!
そう云われたものであった。

年に数度、能村主宰の吟行俳句に参加させて頂いている。
その縁、である。

結果は、入選。
大賞も秀逸も逃した。

いまの実力の程度は、この程度であろう。



市川市は、なかなかに魅力的な街である。
歴史と文化が見事に融合した街、である。

応募したのが、秋。
入選のお知らせが届いたのが、三日前であった。



真間川を挟んで、歴史が響き合う。
そんな街である。







「真間川と云ふ結界の大呂かな」







この句が入選したのでは無い。
今の市川市、真間川を詠んでみた。

能村主宰が「野人か!」と配慮した訳でもないと思う。
いま、ぼくは「繪硝子」の会員である。

師事しているのは「和田順子」主宰。
けれど、能村主宰はぼくにとって単なる「知っている俳人」ではない。
俳句浪人をしている時、心の支えでもあった。

俳句の道は、遠く厳しい。
能村主宰と知り合ったことで、いまのぼくがいる。
そして、和田主宰に深く傾倒することも出来た。

有り難い事である。


     荒 野人

寒木瓜

2018年01月14日 | ポエム
寒木瓜は、バラ科である。
なるほどそう云われて良く見ると、枝に棘のようなものがある。
棘の残滓、である。



植垣に、冬季に色を見せる。
気持ちがほっとするのだ。

決して、惚けてはいない。







「寒木瓜の先に見据える息づかい」







寒木瓜は、何気なく見過ごしてしまうけれど・・・。
いつも視線の片隅にある。



そんな花である。
時として、ごつっとした木瓜の実をつける。
それもご愛嬌、である。


      荒 野人

冬の空

2018年01月13日 | ポエム
冬の空には、様々な言い方があるけれど・・・。
とりわけ昨日、大気は冷え込んでいるのだけれど・・・。

空は、緩んでいるのであった。
良く晴れているのである。



枯れきった葉が、まだ枝に付いていてそれはそれで哀しい。
空の青が目に痛いほど、鮮やかである。



枝が支える凍てる空、である。
句材としては、胸に落ち込んでくる。
琴線をいたく刺戟するのである。







「冬緩む蒟蒻版の描く雲」







だがしかし、雲のありさまは儚さを極めている。
くっきりとしていない、のだ。

そこが冬の緩みを感じさせるのである。
微睡んでいるのでは無い。
緩んでいるのである。


蒟蒻版、とは・・・。
寒天を作って、そこに絵を描く。
寒天に移った絵が乾かない内に、和紙をあててその絵を写す手法である。
境目の鮮やかではない、しかし情緒ある絵が写されるのである。


     荒 野人

枯蓮

2018年01月12日 | ポエム
上野不忍池、である。
四季折々楽しい池だ。

敗荷のとき・・・蓮花が満開のとき・・・。
そしていま、枯蓮が池の全面を覆うとき。



ぼくは、二日続けてこの池の周りを散策した。
一度は、東照宮の牡丹苑。
もう一度は、アンデス展。



かつて句友と吟行をした。
その時は、敗荷。
子規球場を回って、句会に・・・。

ついでに、ドンレミのアウトレットで洋菓子を買い求めたものだった。







「枯蓮の花托沈みて水清む」







上野が海に近いとは思わないけれど、海猫が飛来している。



不忍池の点描となっている。
なんとも不思議である。



だがしかし、彼らは啼かない。
遠慮しているのだろうか。

蓮の花托が枯れて池に落ち込んでいる。
花托が、水を清めているのだろうか。
池の水底までくっきりと、見える。


     荒 野人