ニホンスイセン・・・日本水仙である。
実に甘やかな芳香を発しつつ咲いているのである。
背丈は低いけれど、存在感は充分である。
観覧車は点検中であった。
雲は多かったけれど穏やかな一日である。
途中、こんな風車がクルクル回っていたのであった。
場所は「葛西臨海公園」である。
池には渡りの鳥が泳いでいる。
陽のあたる角度によって、頭部の色が変わる。
オシドリだろうか・・・。
白猫が、わがもの顔で歩いている。
だがしかし、鳥たちはその猫を気にしない。
悠々たるものである。
葛西臨海公園のニホンスイセンは、20万本と呼称している。
観覧車の横に、密集して咲いている。
見事なものである。
このスイセンは、伊豆半島の先端、爪木崎から移植したと聞いている。
甘い匂いが漂って気分が良くなってくるのである。
スイセンの原産地は地中海沿岸地方から中近東にかけてで、原種として約50種が知られていて、そのうち、ただ一つ本種だけは、地中海地方から遠く離れた日本や中国南部に分布しているのである。
しかし、もともと日本に自生していた訳ではないのである。
一説では中国南部から黒潮によって漂流したものが海岸に到着し、ここで自生が始まったものと考えられている。
事実、九州から関東地方にかけての太平洋沿岸、対馬海流が影響する山陰・北陸地方の沿岸には点々と自生地が見られ、中でも伊豆・下田、淡路島および越前海岸は三大自生地として有名なのである。
さきほど紹介したように、ここ葛西臨海公園のスイセンは、伊豆下田の爪木崎の自生地から移植したのである。
この花たちは、先の雪でなぎ倒されてしまったのである。
見るも無残である。
スイセンの花言葉は「自己愛」「うぬぼれ」「気高さ」である。
これほど綺麗な花ならば、自惚れてもいても仕方が無いではないか!
既に枯れたエリアもあるけれど、暫くは楽しめるのである。
このスイセンが終わって、次は菜の花である。
菜の花の次は桜花である。
楽しみな春が巡って来たのである。
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荒野人
実に甘やかな芳香を発しつつ咲いているのである。
背丈は低いけれど、存在感は充分である。
観覧車は点検中であった。
雲は多かったけれど穏やかな一日である。
途中、こんな風車がクルクル回っていたのであった。
場所は「葛西臨海公園」である。
池には渡りの鳥が泳いでいる。
陽のあたる角度によって、頭部の色が変わる。
オシドリだろうか・・・。
白猫が、わがもの顔で歩いている。
だがしかし、鳥たちはその猫を気にしない。
悠々たるものである。
葛西臨海公園のニホンスイセンは、20万本と呼称している。
観覧車の横に、密集して咲いている。
見事なものである。
このスイセンは、伊豆半島の先端、爪木崎から移植したと聞いている。
甘い匂いが漂って気分が良くなってくるのである。
スイセンの原産地は地中海沿岸地方から中近東にかけてで、原種として約50種が知られていて、そのうち、ただ一つ本種だけは、地中海地方から遠く離れた日本や中国南部に分布しているのである。
しかし、もともと日本に自生していた訳ではないのである。
一説では中国南部から黒潮によって漂流したものが海岸に到着し、ここで自生が始まったものと考えられている。
事実、九州から関東地方にかけての太平洋沿岸、対馬海流が影響する山陰・北陸地方の沿岸には点々と自生地が見られ、中でも伊豆・下田、淡路島および越前海岸は三大自生地として有名なのである。
さきほど紹介したように、ここ葛西臨海公園のスイセンは、伊豆下田の爪木崎の自生地から移植したのである。
この花たちは、先の雪でなぎ倒されてしまったのである。
見るも無残である。
スイセンの花言葉は「自己愛」「うぬぼれ」「気高さ」である。
これほど綺麗な花ならば、自惚れてもいても仕方が無いではないか!
既に枯れたエリアもあるけれど、暫くは楽しめるのである。
このスイセンが終わって、次は菜の花である。
菜の花の次は桜花である。
楽しみな春が巡って来たのである。
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