五十嵐喜芳さんが亡くなった。
日本のテナーである。
急性心筋梗塞(こうそく)のため東京都内の自宅で死去したのである。
83歳だった。
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ちょうどぼくが声楽を勉強し始めた頃にイタリア留学から帰国され花々しくデビューされた。
ぼくがソルフェージュ、コールユーブンゲンを卒業し、コンコーネを二冊歌い終わりイタリア・リートなどを得意げに歌っていた頃であった。
彼は、声の質が少しばかりくぐもった感じで、ぼくたちは「いやらしきよし」などと揶揄したものだった。
けれど、いまどきのテナーよりはましだったかもしれない。
基本リリック・テナーだったのだけれど、日本にドラマティツク・テナーが居らず、どちらとも取れるような無理な歌い方をしたのかもしれない。
いやらしいと思いつつ、彼の歌ったカバラドッシなどは感動ものだった。
彼はヴェルディを得意とした。
というより、旋律の綺麗なアリアが合っていたのだったろう。
とまれ五十嵐喜芳さんが、逝かれた。
彼岸の世界でも彼は歌うのだろう。
そうあってほしい。
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また今日のネットでは、ノーベル平和賞受賞者で、「モッタイナイ」という日本語を世界に広めた、ケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさんが25日夜(日本時間26日未明)、がんのため首都ナイロビの病院で死去したという。
71歳だった。
彼女が世界に残した偉大な足跡に哀悼の誠を捧げたい。
77年に環境保護と貧困女性の社会進出を目的に、非政府組織(NGO)「グリーンベルト運動」を始めた。
7本の植樹で始まった運動は、アフリカ20カ国以上で計3千万本に及ぶ植樹に広がったのである。
俳優の杉浦直樹(すぎうら・なおき)さんが21日、肺腺がんのため自宅で死去していたという。
79歳だった。
マスコミでは「岸辺のアルバム」での好演などという。
ぼくは彼の「アラスカ物語」が好きだった。
体格が良くて見栄えのする俳優だった。
笑顔がシャイで、遠慮深げだった記憶がある。
山内賢も逝かれたとあった。
「二人の銀座」和泉雅子とのヂュエットだったと記憶する。
人が逝く。
時代が終わろうとしているのかもしれない。
だがしかし、もう少しその流れに竿さして行きたい。
青春の思い出が一つひとつ、皮膚を剥がすように消えていくのである。
「そんな時代もあったねと・・・」一人口ずさんでみる。
涙がポロッと零(こぼ)れた。
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荒野人
日本のテナーである。
急性心筋梗塞(こうそく)のため東京都内の自宅で死去したのである。
83歳だった。
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ちょうどぼくが声楽を勉強し始めた頃にイタリア留学から帰国され花々しくデビューされた。
ぼくがソルフェージュ、コールユーブンゲンを卒業し、コンコーネを二冊歌い終わりイタリア・リートなどを得意げに歌っていた頃であった。
彼は、声の質が少しばかりくぐもった感じで、ぼくたちは「いやらしきよし」などと揶揄したものだった。
けれど、いまどきのテナーよりはましだったかもしれない。
基本リリック・テナーだったのだけれど、日本にドラマティツク・テナーが居らず、どちらとも取れるような無理な歌い方をしたのかもしれない。
いやらしいと思いつつ、彼の歌ったカバラドッシなどは感動ものだった。
彼はヴェルディを得意とした。
というより、旋律の綺麗なアリアが合っていたのだったろう。
とまれ五十嵐喜芳さんが、逝かれた。
彼岸の世界でも彼は歌うのだろう。
そうあってほしい。
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また今日のネットでは、ノーベル平和賞受賞者で、「モッタイナイ」という日本語を世界に広めた、ケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさんが25日夜(日本時間26日未明)、がんのため首都ナイロビの病院で死去したという。
71歳だった。
彼女が世界に残した偉大な足跡に哀悼の誠を捧げたい。
77年に環境保護と貧困女性の社会進出を目的に、非政府組織(NGO)「グリーンベルト運動」を始めた。
7本の植樹で始まった運動は、アフリカ20カ国以上で計3千万本に及ぶ植樹に広がったのである。
俳優の杉浦直樹(すぎうら・なおき)さんが21日、肺腺がんのため自宅で死去していたという。
79歳だった。
マスコミでは「岸辺のアルバム」での好演などという。
ぼくは彼の「アラスカ物語」が好きだった。
体格が良くて見栄えのする俳優だった。
笑顔がシャイで、遠慮深げだった記憶がある。
山内賢も逝かれたとあった。
「二人の銀座」和泉雅子とのヂュエットだったと記憶する。
人が逝く。
時代が終わろうとしているのかもしれない。
だがしかし、もう少しその流れに竿さして行きたい。
青春の思い出が一つひとつ、皮膚を剥がすように消えていくのである。
「そんな時代もあったねと・・・」一人口ずさんでみる。
涙がポロッと零(こぼ)れた。
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荒野人
NHKテレビでしたが、オペラのアリアだけでなくイタリア民謡などもよく歌っていらっしゃいました。
確かに少々いやな感じもありましたが、高度成長期のあの時代に、一般大衆にオペラアリアやイタリア民謡を広めた役割は大きかったと思います。
人は逝く。
当たり前のことですが、そんな知らせを聞くにつけ、今ひとつの時代が確実に終わりつつあるのを知り、悲哀を感じる今日この頃です。
哀しさを紛らわせるためには、無謀な挑戦であっても、何かに没頭せねばなりません。それが今日もまた前に進ませてくれます。