エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

東大和市に残る機銃掃射の弾痕

2011年05月23日 | 日記
東大和市内の「都立東大和南公園」に行く機会があった。
そこに、第二次世界大戦末期の遺産が残されているのである。

第二次世界大戦の終わり、日本列島が空襲された。
大都市はもとより、軍需産業のピンポイント空爆であった。

この街の隣りには「横田基地」がある。
戦の匂いが色濃く残っている地域である。
そうした匂いを消すかのように、この公園の前には「森永」の大きな工場がある。



この建屋が「旧日立航空機株式会社立川工場変電所」である。
往時の雰囲気を持っている。
ここは、軍需産業の最たるものである。



変電所特有の資材、コイルや碍子を庭に配している。
野ざらしであるけれど、時間の流れを刻もうという市側の意図も見えるぶん好感が持てるのである。



グーグル・アースで覗いてみると、このように見える。



機銃掃射の弾痕が凄まじく残っている。
一目でそれと分かるのである。



碍子(ガイシ)を背景に風にそよぐ矢車草である。
このたたずまいは、物悲しさを語っているようである。



このような看板が建屋の前に立てられていた。

この公園の植栽は美しい。
ボランティアの方々が花の種を蒔き、苗を植えていると書いてあった。



オルレアである。
セリ科の白い花である。

スッと伸びた茎が長くスリムで美しい花である。



サポナリアである。
ナデシコ科の花だ。

そう言えば、従軍看護婦さんたちのことを「戦場のナデシコ」とした映画があったな・・・と記憶している。
悲しい花でもある。



ハクウンボクも満開であった。



この公園は大きな桜の木も多い。
桜花の時期は、きっと花見をする人が多いと思う。

この公園は、平和の大切さを後世に伝える地域として「平和広場」(通称名)と命名したとある。
議会と行政の英断に敬意を表するものである。



旧変電所施設を含めこの地域が戦争の傷跡を今に残す貴重な場所であり、二度と悲惨な戦争を起こさないようにとの願いを込めているのであろう。

弾痕の凄まじい刻印は、歴史の無残を示している。



このモニュメントは、プールと体育館の間の通路に建っている。
力石とでも言おうか・・・。

もう少しで石が持ち上がる、そんな瞬間を捉えているのである。



口をへの字にして力を入れている。
「なにくそ!」である。

こうして力比べをする「平和」も良いものである。
一度は訪れたい場所である。

   西武拝島線・多摩都市モノレール「玉川上水」下車 徒歩8分
   JR「立川」から
     立川バス 村山団地行き「玉川上水」下車 徒歩8分
     西武バス 南街行き「南街」下車 徒歩5分




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 荒野人


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