今朝の新聞に『過労死ゼロを実現するために』という広告が新聞一面を使い掲載せれていました。先日の電通社員の過労自殺だけでなく、ここ2、3年のあいだにおける過労死が増加している他ありません(>_<)このような広告を新聞に掲載する国が他にあるでしょうか。仕事と言えば何でも通る風潮、残業をすることが美徳とされる風潮。本来は残業しないと仕事がはかどらないのは能力不足と判断しても良いはず。また家に帰りたくないという社員や管理職がダラダラ会社で仕事をし中には残業代欲しさに残るヒラ社員もいたり。真面目に働いているものは、とんだ、とばっちり(>_<)会社だけでなくモンスター社員に巻き込まれる真面目な社員は大きな迷惑。自分のストレスを部下に八つ当たりするパワハラ上司、仕事に来てるのかナンパに来てるのかわからないセクハラ野郎、妻にセックスを拒否され欲求不満の中年オヤジがセクハラ、会社は労務管理の中でも、まさか?こんなとこまで管理しないといけないか?もう、そんな時代になってきたのかも知れません過重労働の潜在的部分は見えないところにも意外と隠されているのかも?
私が20代前半は山下達郎さん、大瀧詠一さんは女性から人気のアーチストでした。銀行員の彼女と知り合う前まではロックやジャズが好きで、時にはアースウィンド&ファイヤーとか(^^)車で流す音楽は女の子が聴いても全くツマラナイものばかり。ある日のドライブの時『今度、私の録音した音楽テープを持ってきていい?』銀行員の彼女が言ったので、いいよ。と。次のドライブデートで奈良公園まで行ったときに初めて聴いたのが大瀧詠一さんの『ロングバケーション』山下達郎さんのアルバムでした。その日を境に彼女好みの音楽ばかり。ジューシーフルーツやシーナ&ロケットなど今でいう当時のJポップ(^^)ジャズやロックしか聴かなかった私も日本の音楽の良さに馴染んだころ『今度はコレ、セットしてみて!』デッキに入れると突き抜けるようなギターの音が車のリヤから聴こえたのです。『え?あれ?このカセット?ジェフベックなん?』彼女は笑顔を返してくれました。10代の頃、ジェフベックに憧れてギターを買い、エリッククラプトンやリッチーブラックモアを崇拝していた頃の話をしたのを彼女は覚えていてくれて『探したの。短大の時の友達の彼氏が、あ!それやったらジェフベックの事と違うかな?』って。ワイアードというジェフのアルバムが好きだと私が言ったのを覚えていてくれて『ワイアードじゃないの。でも、最新のレコードから録音してもらったの。あとドゥビーブラザース?だったかな?それも入れたもらったから、今日は、これを聴こうよ(^^)』とても嬉しかった今でも忘れない、その時のシーンがスライドのように私の脳裏にあります。音楽は素晴らしいです。ジャンルは別としても(^^)心に刻まれた音楽は宝物ではないでしょうか。
誰でも想い出の曲はあるかと思います。そして、一曲一曲に時代や年代がありますよね。私の想い出の曲は大瀧詠一さんの『ロングバケーション』というアルバム。もう35〜36年前。当時の彼女。銀行員の彼女との想い出でもあり私が彼女を裏切り別の女性に惹かれた、そんな時のアルバムです。今でもロングバケーションの中にある曲を聴くと甘酸っぱくもあり心が痛んだり複雑な想いが心の中を駆け抜ける曲ばかり。昭和55年から56年にかけて。当時の光景が、つい昨日の出来事のように蘇るのです。私の心は銀行員の彼女の事を愛していたはず。でも美しい女性との出会い。彼女は決して美人とは言えない、スタイルも。心を愛していたのに。私の自己顕示欲と我欲が美人を選んでしまい、そして彼女に酷いことをしてしまった。もう30年以上も前の出来事が今でも時々、思い出されます。部屋でロングバケーションを聴いていたある日の午前中。『うわ〜っ懐かしい曲を聴いてるんやね?なんか想い出あるん?』妻が言った、その想い出というワードにギクッとした途端、『あ、なんか、あったんや。(^^)ま、ええけど?お父さんの青春?』私は、ただただ愛想笑いするだけ。今の妻は性格は当時の彼女のようで外見は前妻を優しくした容姿。小柄の可愛い妻です。2人の良いところを兼ね備えた伴侶と巡り会えた神様に私は感謝しかありません。
ブランド(^^)品物、学歴、クルマ、地位などなど。一番身近なのは高級ブランド品でシャネルやヴィトンなどブランド品で身を固めている人ががいます。よく心理的に自分に自信がない人がブランド好きになるとネットでも書かれていますが私も同意です。また人の持ち物や学歴、地位などで人を判断するのもしかり。人の本質を見抜く眼を養うには自分の真我に目覚めることかな(^^)と思い始めました。かつて私も相当な自己中心的で我欲が強い頃を思い出すと今でも恥ずかしく、全く周りが見えてなく高い物、高い地位の人が立派だと思っていたので自分も、いつか、そうなりたいと(>_<)本当に恥ずかしくて仕方ありません。人の本質?そんなモン、この世は、どれだけ稼いで、どれだけ高い地位に付くか?で決まると信じていたのです。それが人の幸せである、と。なんとも恥ずかしい。どれだけの埃や泥で魂を汚してしまったんだろう(>_<)それを、1つ1つ反省をし始めると心の奥から見えない涙が溢れ泥を流しています。そして心の奥からチクチクと来る痛みは我欲で痛み虫歯のようになっている箇所を削るかのような痛み(>_<)そして感謝という念で虫歯になった魂の箇所を埋めていく。自己中心的な考え方と行動は自分自身の魂を疲れさせ、得をしたようで徳を失う行為であることに漸く気づくのかな。気づくと、高級ブランドにトキメキはなかなり高級車を見ても何とも思わない。以前は欲しくて欲しくて、でもお金がない。買える余裕なんてない。今は、それがたとえ、買えるお金があっても買いたい、欲しいとは全く思えなくなりました。そして今まで以上に物を大切に出来るようになれるのです。手入れも怠らず。永く使いたいと。作ってくれた職人さんの気持ちを大切にしたい。手作りのものが好きになったり。話は逸れましたが心の曇りは未だ未だ取れていません。でも曇りを取れた部分で見えてきたものを実感する今日この頃です。
誰でも生まれたときは天使(^^)世の中のお母さんは皆んな天使を産んでいるんだと思います。子供は2、3歳までは本当に天使。でも成長し大人へと成るに従い埃や泥をかぶり、人間関係と自我で心が曇っていきます。誰でも多少なりとも曇ります。その曇った心の窓を拭くことが出来るのは反省だと思うのです(^^)反省から感謝が生まれると普通の事、当たり前のことへの感謝へと変化していくと自我、我欲の風船は萎んでいき周りの人達に喜んでもらう事、与える事、支える事などなどをしていけるようになるのかな?利他愛を行動することで、やっと周りが見えるようになり自分を本当に内観できるようになるのかな?それから『身の丈を知り足るを知る心』扉のドアの前に立てるのかな。それでも人間って常に欲というものにかられます(^^)欲は必要です。でも身の丈以上の欲を持たないようにコントロールすることは魂のトレーニングになるのかなと思う今日この頃です。魂のトレーニングは天使に生まれた人間が時に悪魔になったとしても天使に戻ることが出来るかどうか?
それが人生の修行なのかも知れません。
それが人生の修行なのかも知れません。