脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

プリンター買いました(^^)

2016年10月31日 15時00分57秒 | 買ったど~
使っていたプリンターが壊れ昨日、新しいのをかいました(^^)
今のプリンターはスマホから直接、スマホ内の写真をプリント出来るんですね(^^)
買ったプリンターは👇

エプソンのプリンター(^^)
電気屋さんに妻と行くと28000円と14800円のプリンターが気になり見ていると店員さんが近づいてきて違いを説明してくれたのです。
どちらも複合機ですが、ま、機能があれば、それで良かったので14800円のに指をさして
『じゃ、これでいいです。』と言うと?
『このお値段を出されるなら、この28000円のプリンターの1つ前のタイプが14800円でありますので、こちらをオススメします。』とのこと。

『へ?だったら最初に言ってくれたらいいのに!』と心の中で思いながら
『最新型との違いは?』と聞くと殆どありませんと言うのです。確かに見た目はほぼ同じ。
と言うことで1つ前のタイプを購入しました。

印刷が出来てスキャンも出来てコピーも。
おまけにスマホから直接、写真をプリント出来るのならば十分。

なんかお得感一杯でした。
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愚痴、不平、不満は言ったとこほで100害あった1利なし。

2016年10月31日 14時50分50秒 | スピリチュアル
愚痴や不平不満を言うのはやめたほうがいいのです(^^)人間、腹立つことがあると?ついつい友達などに言ってしまうことも。愚痴や不平不満は自分の周りから人を遠ざけてしまいます。何ら解決するどこらか友達を減らすことに。イライラした気持ち、抑えきれない気持ちをぶつけてるだけ。一言遠ざけてるだけでなく幸せも遠ざけているのです。愚痴や不平不満は一回言うと不思議なことに、また愚痴を言いたくなる出来事が起こるのです。そして中身も些細なことから段々と膨らんでくるから不思議です。もう一度言うと愚痴や不平不満は何の解決にはなリマセン(>人<;)
ただ腹の虫が収まらない気持ちをぶつけてるだけ。なので愚痴を聞かされた方はたまりません。
普段の言葉で腹立つ、ムカつく、ウザい、死ねなど若い子達は平気で言う人が多いですが、こんな言葉を些細な事で使うと、また同じ言葉を言う出来事が起こります。そのような言葉はやめて、天国言葉を使うようにすると愚痴や不平不満が起こる出来事は減っていきます。些細なことなら見逃してあげる心の余裕も生まれます。愚痴や不平不満は怒りの感情を生む源。怒ってばかりいると『え?』と思う些細なことや場合によっては周りが聞いて何で怒ってるのかわからない意味不明な原因で怒るようになってしまいます。心を曇らせることになるので愚痴や不平不満はやめましょう。
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会社を訴えるキッカケ2

2016年10月31日 09時04分40秒 | 裁判
平成25年11月突然、やってきた専務は見舞いではなく私の状態確認だったのです。私への労りの言葉は全く無く、今後の処遇について冷たさを感じ不安を持ったのです。そして入社して六年間を振り返り懸命に働いても、こんな状態になったら簡単に役職は解かれ年収も大幅にダウン。入院中、労災申請しても中々、認定までの期間が長いためスマホで労災関連を検索しては調べていました。そこで見たのが長時間労働の問題や過労死の問題。会社の安全義務なとについて勉強していたのです。私は、仮に復職出来る状態となったとしても?と思い始めると段々、会社に対しての思いが変化し始めました。そして12月に退院。自宅療養となった私は色々と頭の中に巡る六年間を振り返り、平社員からスタートし課長となっても名ばかり管理職であったこと。月間100時間を超える残業もし、会社に貢献した自負もありました。それが脳出血をした社員は、もう用はないとばかりな処遇を聞いて私は労災が認定されたら会社を訴えると決断したのです。この時は私と私の家族だけを守るために。
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会社を訴えるキッカケ1

2016年10月31日 07時58分31秒 | 裁判
脳出血で仕事中に倒れ労災を申請して、入院リハビリ中、会社を訴えるという気持ちは全くなかったのです。なるべく早く復帰したい。そんな思いでリハビリに励んでいましたが(o_o)リハビリの成果は出てきていたとはいえ仕事が出来るには到底、難しいものでした。なんせ10メートル歩くとヘロヘロ。三本の足がついた杖(o_o)床から立ち上がることも出来ない。でも、何とか食べ物を飲み込むことが出来るようになり、どうにか自分1人で車椅子に乗れてトイレまで行けるようになったのが退院1ヶ月前の平成25年11月。突然、専務が病院に来ました。もちろん、手ぶらで(^^)見舞いではなく私の状態を確認に来たようでした。私の身体を労わる言葉は一言もなかったのです。仕事に復帰できるのか否か、出来たとしても、どの程度の仕事が出来るのか?いつ頃?復帰出来るのか?いそんな値踏みをしにきたのかな?という空気を会話の中で感じたのて『私が復職したら給料は下がり役職も解かれるのでしょうね。』私はあえて解かれるのか?と聞くことはせず解かれる。ことを前提に聞くと『そうやな。ま、でも仕事内容によるなぁ。』課長としての役職を解くことは間違いなく、年収もおそらく200万ほど下がるだろうと。私は思ったのです。入社して約6年、会社に対して不信感を募らせていたのもあり使い捨てのように思えた私は専務が病室をでたあと暫くかんごえたのでした。
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