脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

生きてるときも幽界へ行ってるそうな(^^)

2016年10月30日 12時16分59秒 | スピリチュアル
人は死ぬと幽界というところへ行くそうです(^^)そこは、この世ソックリなところらしく『え?死んだんじゃなかったの?』と思ってしまうほど。その幽界へ実は生きてるときにも行くそうで、その記憶が夢として断片的な残っているとらしいのです(^^)時々、だれ?この人と思う人が夢から覚めてから夢の中の人物を思い出したり、既に亡くなっている友達や親族と会っていた夢を見た事は誰でも経験しているのでは?(^^)それは実際に幽界に行ってることらしいのです。生きてるあいだ、幽界に行くのは慣れておくことらしく、死んでから幽界にイキナリ行くと何かと困る事があるため、夜間に寝てる間、脳と身体は休息を取り幽体はシルバーコードを付けたまんま、あの世へと遊びに行って亡くなった友達と会ったりしてるみたい。では、え?誰?と夢の中で出会った人は一体、誰なんでしょうね(^^)
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親子の因果(^^)

2016年10月30日 09時24分14秒 | スピリチュアル
子供は親を選んで生まれてくるといいます(o_o)
その親であるから自分の魂が成長出来るのが第一かも知れませんが、親のカルマを身近な子供として生まれて解消させるために生まれてくるのかも知れません(^^)例えば親の前世が不良息子としてカルマを持ったなら今世、その不良息子は親となった時に生まれてきた息子が不良息子になる。という因果。他には何か親に気づきを与えるメッセージを持って生まれてくる息子。 他人なら互いの波動が合わなければ離れていけば良いのですが親子ともなると波動が合わなくとも親子として共に過ごす時間が多いばかりではなく切っても切れない因果で互いに合わない時の修行をするのかな。(^^)よくある親子の話で互いに合わない親子が長い時間をかけて漸く、それが愛と気づき、理解しあえる親子になっていったり、反対に子供は家を出てから音信不通になることも。前者は乗り越えた親子。後者は来世に持ち越し同じようなハードルを与えられるのかな?親子の、それぞれのカルマが複雑に絡み合って1つの問題集が親子として与えられるのかも知れませんね(^^)
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万物の霊長と言われる人類とは?私の主観です(o_o)

2016年10月29日 17時00分06秒 | スピリチュアル
最近、ほんのすこし、身体は魂の乗り物かな?
と思える感覚です(^^)
身体をメンテナンスしながら生きてるというか。

物欲が少なり、そん感覚が。
やれ、どこそこのブランドがいい!とか
車はベントレーだ!とか言ってるのを聞くと
なんとなく、ふーん。で?みたいな。

走れば軽自動車でも十分。
40歳、50歳の男の人が、そんな事を言ってるのを聞いてクスクス笑えたり(^^)

話は逸れましたが、身体は魂の乗り物かな?
と思えた頃からなんとなく、心の中に穏やかな風
が吹き始めたような感覚があります。

う〜ん(o_o)

心が楽。

脳は受信機。だそうでふ。(o_o)
宇宙からの受信機でもあり。
真我からの受信機。

脳は発信機でもあります。
身体の各器官への命令系統。
など

自分という意識
真我は魂から脳に発信して脳は、それを受信する
から、あたかも真我は脳にあり脳イコール心
のような錯覚をしているのでは?

脳は超精密機械やコンピュータ以上の性能を持っている。
これが神様が人を創造された万物の霊長なる人類へのプレゼント。

魂が、どう脳を使いこなしていくか?
脳に支配されたら動物に近づき
脳を使いこなせば神様に近づくのかな。

先ずは身体は魂の乗り物、道具であると。
そう感じる事が最初の第一歩のような気がします。
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会社の安全配慮義務違反(^^)2

2016年10月29日 11時55分48秒 | 裁判
私が勤務していた会社は従業員200名ほどの中小企業。その本社部門で私は働いてました。代表者である当時の専務は4階フロアのガラス張り専務室に常駐していて社員の状態は把握出来る環境でしたし本社社員は勤怠届けやタイムカードなど専務自らチェックしており勤怠状態は熟知。また業務日報も私は専務へ直接提出してました(o_o)また会社での人事権、採用や異動の決裁は全て専務にあります。そんな絶対権力者の専務。私は高血圧であること、また課内の人員が定員4名のところ3名でマネジメントしていること。また私の業務量が課内で1番多い事など知っていて何ら配慮するところがなかったのです(o_o)早朝早い時は7時に出勤。夜は深夜まで他部署の会議に参加。新卒採用面接、履歴書チェック、エクセルでフォーマットの改修や作成、会議資料をパワーポイントで作成、そして滞納家賃の督促は荷重としか言えず倒れる1年前は月平均120時間残業だったのを80時間まで減らしてはきたのです。流石に家賃滞納業務量を減らしたい思いはありましたが、人員不足もあり、それが言えず新卒採用を自ら調整して減らすように努めてはいきました。業務日報とタイムカードを見れば限界であることは分かるはず。でも何の配慮もないので高血圧であることを相談すると『私も、高血圧だった。病院を変える事をすすめる。私の場合は内臓にポリープがあって、それが原因で血圧が高かったから。』は?あんたは私ではないんやで!と心に思いながら聞いていても専務は有給を取らせるなり、業務量を減らすなりのアドバイスは全くありません。私も一課長と言う立場から自ら業務量軽減や有給を言うには気が引け、先ずは言われるまま病院を変え内科だけでなく循環器内科も受診した直後、脳出血を発症したのです。専務に相談に行ったのは、6月の初めに健康診断で血圧が165-100という異常値が出た為もあったのです。その前年までは150まで下は80から90までだったので。くしくも私が倒れたのは6月15日。健康診断の直後だったのです。
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死は決して不幸なことではないと思えるように(^^)

2016年10月29日 10時00分58秒 | スピリチュアル
『死』はあの世への旅立ち(^^)そして肉体から魂が自由になる瞬間でもあるのです。だから?本当は悲しい出来事ではなく『修行、お疲れ様でした。晴れて自由になり、おめでとう!』と死んだ方を送ることが残った人の送り方ではないかな?と最近、思うようになりました。故人となった霊界の宣伝マン丹波哲郎さんが『皆さん、自分の死ぬ時を楽しみにしましょう。』と言ったとき、は?何を言ってるんだ?この人は?と思ったものですが漸く氏の言ってる意味が理解出来るまでになりました。人の死を悲しむのは残された人自身の気持ち。残され寂しくなった気持ちが影響しているのでは?大切な子供、伴侶に先立たれる悲しみ。その悲しみに参列者は気を配り、同情したり励ましたり。辛く苦しいこの世の修行を、やっと終えて自由になった魂。最近、芸能人の方など著名な方々の訃報を聞くと『良かったですね。お疲れ様でした。』と思ってしまう私。決して喜ばしいことではありません。それは理解しています。肉体を脱ぎ捨てあの世の住人となる日はいつかはわかりませんが少しでも良い環境の所へいけるように余生を過ごしたいと思う今日この頃です(^^)
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