しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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聖日の朝に <ナルドの香油>

2024-08-04 | みことば静想
「私の愛する方は、私にとって、私の乳房(ちぶさ)の間に宿る没薬(もつやく)の袋。」(雅歌1:13新改訳)

没薬は古代の女性にとってはもっとも貴重(きちょう)な香りを放つ大切なものであった。雅歌の歌から想像すると、若い女性は胸の間に没薬を入れた小さな袋を忍ばせ、あたりにかぐわしい芳香(ほうこう)をただよわせていたようである。ここではキリストのはなよめとなった者がイエスの近くに寄ると、なんともいえない愛と恵みの人格的香りを感じて、よろこびをおぼえる様子を没薬にたとえて歌っている。▼ベタニアのマリアは主をお招きした食事の席で、最上のナルド香を師に注ぎ、自分の髪の毛でぬぐった(ヨハネ12:3)ので、その部屋は高貴(こうき)なかぐわしさに満ちあふれた、とある。一度塗(ぬ)られたナルドは一日や二日では消えない。ということは、その数日後、十字架に歩んで行かれたイエスのおからだからはマリアが注いだナルドの香りがあたり一面にただよっていたのである。▼十字架を負い、汗と血に染(そ)まりながら歩まれた神の子の姿は、痛々しさそのもの、エルサレムの女性たちは同情の涙を流しながらついていった。しかし、万民の罪と神の呪いを受けたあがないの子羊は、天上では賛美と驚嘆(きょうたん)に満ちた姿であり、無数の御使いも宇宙に存在する被造物全体も、我を忘れて見入っていたにちがいない。人の子イエスのからだを、ただひとり、ナルドでお飾りしたベタニアのマリア、彼女は期せずして、神の愛が永遠のナルド香として天地に現れたことを、私たちに証ししたのであった。私たちも声を合わせて歌おう。▼「わが愛する者は、白く、かつ紅(くれない)にして万人(まんにん)の上に越ゆ(こゆ)。そのかしらは純金のごとく、その髪はふさやかにして、黒きこと烏のごとし。その目は谷川の水のほとりにをる鳩のごとく、乳にて洗われてうるわしく嵌(はま)れり。・・・そのすがたはレバノンのごとく、そのすぐれたるさまは香柏(こうはく)のごとし。その口は、はなはだ甘く、まことに彼には一つだに美しからぬ所なし。」(雅歌5:10~16文語訳)