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Guapa

❉I Love Czech,trip,movie and Peace❉

日比谷公園・憲法・ソフトクリーム・ライオン・ビール

2010-05-19 23:43:19 | Love Peace

伊藤真氏は司法試験のカリスマ塾長で、「憲法を知ったものの責任」として憲法擁護を訴えるかっこいい男だが、実は高校の後輩だった~と友だちからの電話もあり、憲法記念日にみんなで話を聞きに出かけてました。まっさおな空が広がり、都心に広がる緑の森にわたる風もさわやかな1日。   

               

       外国みたいな風景*このお店のソフトクリームがとってもおいしいのですよ              

               

                                                                         初夏を思わせる藤が満開でした

日比谷公会堂には人があふれ、外にもスクリーンが設置されていました。伊藤真氏の話は実にユーモアにあふれ、普天間基地をめぐる問題の理不尽さをおもしろおかしく語っていました。

市原悦子さんの「ちいちゃんの影法師」(あまんきみこ)の朗読はすばらしく、何度も涙がこぼれました。「DVDにしてうちの子にも見せてあげたい」との声も。

講演が終わって青空を見上げた時、あらためて当たり前と思っている静かな青空をありがたいと思いました。この空にいつも戦闘機が見える沖縄、その下で体育の授業を中断し、耳をふさがなくてはならない子どもたち、さらにはその戦闘機が運んだ爆弾がアメ・アラレと降り注がれている戦場の子どもたちにとって、青空はけっしていつもうれしいものではないでしょう。

「戦後の厳しいくらしが自分の人格を形成した」とお話をされた市原さんのやさしい語り口調と毅然としたひとことが心に残りました。「温かい支えで生き延びた自分がいること、けれども、ちぃちゃんのようにして亡くなった大勢の幼い命があったことを忘れず語り継いでいきたいと思います」

 その後、銀座のライオンで久しぶりのビール・・・たくさんのこと、語り合いました。

             

              

学生時代って人生のほんのわずかな時間なのに、一生のつきあいになるのはどうしてでしょう。女同士の話し合いはエンドレス★ともだちばんざ~い!


国連 国際女性デーにミモザの花を

2010-03-07 17:59:47 | Love Peace

                   

            小雨の寒い朝、通勤途上でゆれる黄色い花房

                       ミモザです!

           春を呼ぶ花、ミモザにはたくさんの所以があります

                      そのひとつが

                 3月8日*国連「国際女性の日」

    世界中で「国際女性の日」のイベント、シンポジウム、集会が開かれます

    今年は初めて女性が自らの権利を求めて立ち上がった日から100年目

    そして、初めてアジアで世界女性会議が開かれた「北京会議」から15年

                     1995年 当時 

         会議の成果として「アンペイドワーク」の評価がうたわれ 

      世界から女性の無償労働をなくそうという大きな声が広がりました

            日本政府は、なぜか専業主婦の無償労働を計測  

       働く女性の平均賃金を上回っていたことが話題になりましたね

             女性の「アンペイドワーク」をなくすためには

                日本中にあたりまえのようにある 

               サービス残業をなくすことが最も近道

                    なのにね…

                      

      ヨーロッパではこの日、男性が尊敬する女性にミモザの花を贈ります         

           パンを求めて女性たちが立ちあがった日から100年 

                   選挙権を得た女性たち   

             日本ではすべての女性が文字を読み書きし

                      学校に通い、   

                 女性が働く機会や場所も広がり   

        自ら選んだ愛する人と結ばれる権利を持てるようになりました

                     世界にはいまだ 

                      戦乱のさなか

           爆撃の中を逃げまどい、家族を殺される子どもたち  

             祖国のためという美名のため少年兵となり 

            希少鉱物の利権の犠牲されている子どもたち

                      その細い肩に  

                  かけられるものは銃ではなく 

               本とノートと鉛筆の詰まったカバンです

               そして平和で幸せな国と言われる日本 

                      いじめのために

              いのちを絶たざるを得なかった子どもたち

                      その痛みを胸に

                すべての人が生まれてよかったと

                輝く笑顔に満ち溢れる社会を求め

                      おかあさんたちは     

                          また

                     100年目の第一歩を

                      踏み出すのです 

                    

 

国連・広報部ニュースです

2010年3月8日国際女性の日2010国連公開シンポジウム「平等の権利と機会:すべての人のための前進- 北京プラス+15:ジェンダーの平等と開発、そして平和 -」国連は3月8日を「国際女性の日」と定め、女性たちが平等、安全、開発、組織への参加のための努力により、どこまで可能性を広げてきたかを確認すると同時に、今後のさらなる前進に向けて話し合う場として設けられた記念日としています。 今年は1995年に北京で開催された第4回世界女性会議から15年目にあたる節目の年です(北京プラス+15)。3月1-12日にはニューヨークの国連本部で検討会合が行われ、ジェンダーの平等と女性のエンパワーメントの促進について15年間の進捗状況を確認するとともに、課題の克服に向けた話し合いが予定されています。 この「国際女性の日」、および北京+15を記念して、3月8日(月)、駐日国連緒機関は東京・大手町の日経ホールにて「国際女性の日2010 国連公開シンポジウム」を共同開催します。シンポジウムでは、北京+15の経過を踏まえ、日本国内のジェンダーに関する主要な課題を取り上げるとともに、企業や市民社会においての様々な取り組みや事例を紹介し、日本社会におけるジェンダー平等に向けた進展の状況と今後の課題について議論を行います。

国際女性デー(3月8日)by国連広報部

 1977年、国連総会は各国に対し、それぞれの歴史、国民的伝統や習慣に沿うかたちで任意の日を「国際女性デー」と宣言するよう呼びかけました(決議32/142)。女性に対する差別撤廃と、社会開発への完全かつ平等な参加に向けた環境整備に貢献することが各国に期待されています。この国際デーは国連総会が宣言した「国際女性年」(1975年)および「国連女性のための10年」(1976~1985年)に引き続くものです。国連が3月8日を国際女性の日としたのは、国際女性年(1975年)のことでした。

 


英国シンドラーの記事(プラハからロンドンへ)

2009-09-08 02:48:04 | Love Peace

  「英国のシンドラー」と呼ばれているのはニコラス・ウィントン氏(100歳)。

 第二次世界大戦直前の1939年。3月から9月にかかえて、旧チェコスロバキアから特別列車を仕立て、ユダヤ人の子どもたちを9回、合計669人を英国に脱出させていたのです。

  最後の列車はナチスに阻まれ、250人が消息を絶ったとのこと。

 70年を経た今年、生きのびたユダヤ人たちが脱出劇を再現しようと、プラハから記念列車に乗ってロンドンに4日到着し、“命の恩人”との再会を果たしました。

   子どもたちの救済は報道によれば・・・(産経新聞によれば) 

 1938年冬、スイスにスキーに出かける予定だった株式仲買人のウィントン氏に、チェコスロバキア難民委員会の英国代表を務める親友から電話が入った。当時、欧州ではユダヤ人の子供を列車で脱出させる計画が進行していた。しかしチェコスロバキアには組織がなく、ウィントン氏に白羽の矢が立ったのだ。

 プラハに入った同氏は39年3~9月、子供たちを乗せる特別列車を準備した。独、オランダを横切り、北海を渡る約1120キロの行程。英国での受け入れ家庭も世話した。

 39年6月23日発の特別列車に乗ったマリアーネ・ウォルフソンさん(85)=米在住=は「16歳以上は列車に乗れなかったので、15歳の私はぎりぎりでした」と振り返る。残された両親は強制収容所で命を落とした。リサ・レッサーさん(78)=英在住=は「車中でイチゴジャムの白パンをほおばったのを覚えている。白パンなんて食べたことがなかった」と語る。

 独軍がポーランドに侵攻した39年9月1日には、出発直前の特別列車がナチスに止められ、子供たち250人が連行されたという。

 戦後、ウィントン氏は口を閉ざしていたが、88年に妻が偶然、屋根裏で子供たちのリストや写真を見つけ、救出劇の存在が明らかになった。同氏は昨年、チェコ政府からノーベル平和賞候補に推薦されている。

 ≪命の恩人と再会≫

 英BBC放送によると、当時の子供24人と家族ら計174人を乗せた記念列車は今月1日にプラハを出発。当時と同じルートをたどり、4日、ロンドンのリバプール・ストリート駅に着いた。出迎えたウィントン氏は「70年前、子供たちだけでなく、彼らの家族も一緒に列車に乗せたかったが、できなかった。子供たちと再会できて本当に感激している」と話した。

 イギリスとチェコのレジスタンスを描いた「ダーク・ブルー」という映画があります。

 イギリスでパイロットとしての訓練をうけた青年たちの青春をかけたたたかいと第二次世界大戦後の苦しみを描いています。そして亡命政府も確かイギリスではなかったでしょうか・・・。

 子どもたちを列車で逃がした3年後、1942年6月、ヒトラーの後継者とされていたヘンドリックがプラハで暗殺され(正確には暗殺は未遂、その際の爆弾の破片による傷がもとで死亡します)、怒り狂ったヒトラーは近隣のリディッツェ村の住民をすべて殺し、子どもたちは強制収容所送りとなります。

 プラハのオバマ発言はこうした歴史の上に立ち、新しい時代を自分たちの手で作り上げる決意を語ったものであってほしいと願います。